閉校記念行事「校歌500人大合唱祭」に参加し在学生らと校歌を久しぶりに歌い、詩の斬新さに感嘆しました。
そこで、作詞をされた谷田先生のペンネーム牟礼慶子をネットで検索してみると先生の公式ホームページを発見。そこには先生の著書九編が収められており、主だった作品が読めるようになっています。
私には詩の素養など全くありませんが、恩師の作品ではと、表題から興味深いものを数編読んでみました。
満身創痍 引用元:牟礼慶子 著 「来歴」 世代社 刊
眼球はどぶの中に捨てた 眼鏡の奥のくぼみには光も射さない ほかに方法もなくただ歩いて行く
地球は苔のごとき隠花植物に掩われ ひとつかみの安住の地を見つけるには ありあわせの人生の 大半を投げ出してもまだ足りないのだ 花のような若さはとうに使いはたし 油っこい悲哀が 僅かに気管の底にひっかかっているきりだ 空は空にあり 草には草の生える場所があると聞くが 彼を指名する安住の地などは 最初からありようもなかったのだ おそらく彼の臓腑の内部には はかりきれない苦汁がたまってしまったのだろう
魂はどこへ置いて来たのだ 彼の顔をして身体だけが先を行く いつからあの厖大な天体の運行を真似ているのか 満身創痍の彼が 蹌踉と地球の崖っぷちを前へと歩いて行く |
谷田先生は、2年生の2学期からのクラス担任で、それまで担任だった数学の渡辺先生が何かの事情で転勤され、副担任だった谷田先生が代わられたと記憶しています。先生からは、もちろん国語も教わりましたが、当時は国語教科自体に興味が持てず、これといった思い出はありません。今、考えるともったいないことをしたものだと後悔します。
中学生から見た先生の印象は、若い優しいお母さんという雰囲気でしたが、この作品はそんなイメージとは程遠い、人生の苦悩を一身に背負ったニヒリズム的感覚に戸惑さえ感じます。
元2年C組 関 雅行
2年C組 新学期
中央左右 谷田先生と渡辺先生
私の出発地点、昭和29年 谷田 慶子 先生