無人コンビニ?
今朝の新聞に、韓国で無人コンビニ導入、ロイヤルホールディングスも電子マネーとクレジットカードのみの実験店を開業の記事。
子どものころ、買い物を命じられるのが苦手だった。引っ込み思案で、店員さんが声をかけてくれるまで待っているものだから、順番を抜かされることが多かったのだ。内気なわりに怒りっぽいので、カッとするとプイと店をとびだしたものだ。 だから自分で品物を手に取り、レジに並ぶだけのスーパーやコンビニができてありがたいと思ったものだ。 しかし就職して一人暮らしを始めたとき、大変なことになった。夏休みに入り、当時の教員は部活の顧問でもなければ出勤する必要はなかった。自宅研修(自宅でなくてもOK)が認められていたのだ。そして気がつくと、当時のことばで言うとノイローゼになっていた。何日も人と会話をしていないことが結果的に「ひきこもり状態の心理」を作ってしまっていたのだ。外食するにしても、買い物をしてアパートで食事を作るにしても、全く口を利かないですむのは、便利なだけでなく、心の健康を保つ上では大きなリスクだと知った。
校内暴力、いじめ、不登校。学校で起こる様々な問題が伝えられる。だが、あまり知られていないことに「トイレ問題」がある。もちろん花子さんの話ではない。 たとえば学校が荒れてくると、必ずトイレのドアが破壊される。 逆に、なにも問題がないようでも、トイレに何か問題が起こるのは、隠された問題があるのかもしれない。排泄物が壁に塗りたくられているとか、便器から外れたところに排泄されているとか、流されていないとか……。 なにより、なぜそんなことが起きるのかがミステリーで気味がわるい。寝覚めも悪い。といって見張るわけにもいかない。監視カメラなど取りつければ人権問題になろう。 しかし、その一部は私たちの考えすぎだったかもしれないと思い当たったことがある。原因の一つは、子どもたちの家庭のトイレと、学校のトイレとのあまりの違いなのではないかということだ。最近まで学校のトイレのほとんどは和式だということをご存知だろうか。今でもすべてが洋式化したわけではないだろう。和式を知らない子どもがいるということを、学校職員は考慮したことがなかった。だから使い方の指導もしたことがない。そんなことが背景にあるのかもしれない。さらに今では、自動的に流してくれるトイレが普及しているので、最後に自分で流すことなど思いつきもしない子どもがいてもおかしくないではないか。
そんなことを漠然と考えていたら、レジのないコンビニが普及したら、買い物をして支払いをすることを知らない子どもが育つのかもしれないと想像してしまった。するとその子どもは、レジのある店でもそのまま出ていこうとしてトラブルになるかもしれないし、万引きしても罪悪感を持たないかもしれない。(いや、今でも罪悪感のない子どもがいる。現に担任したことがあるのだ。)
元スケバンで、今は介護施設で働いているという元生徒に会ったことがある。彼女が働き始めたとき、しばしば先輩に叱られたのは、優しくしすぎないことだったそうだ。親切すぎると、できていたことでもできなくなってしまうのだと。自分でできるようにするのが良い介護なのだと。 便利な世の中が、必ずしも人間に優しい世の中であるとは限らない。 ところで、酒田人の特徴はとにかくおしゃべりであることだ(例外あり)。散歩していてすれ違うだけの名前も知らない人でも、男女を問わず喋り始めると止まらない。ところが下校時に迎えの車を待っている高校生は、同じ酒田人なのに、並んでいても会話もなく、それぞれがスマホを操作している。会話にもスマホを使うのか?と思うほどだ。早朝散歩するのは高齢者、中高生やその親の世代は、家庭では会話もせず、それぞれがスマホに向かっているのかも。いやだいやだ、そんな家庭。
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