鳥は歌う……
これはエッセイです。論文ではないので念のため……。
昔、家で飼っていたメジロはたぶんメスだったと思います。もちろん、野鳥を飼うことは禁止されているのですが、父の勤め先の社長が多趣味で、かすみ網で獲ったメジロやウグイスを父に押しつけたらしいのっですが。 ウグイスもいたのですが、ウグイスというやつは愛想がなく、秋や冬は沈黙を守り、時々笹鳴きと呼ばれる「チャッチャッ」と、舌打ちのような地鳴きをするくらいでした。一方のメジロは、よく慣れて人の手から果物を食べるし、機嫌がよいと歌っていました。それも気分によって様々な歌がありました。晴れた朝、ベランダに出すと踊りながら高らかにアリアを歌うし、午後の陽だまりでは小声で鼻歌を歌っています。キチキチキチという鋭いアリアを歌うと、モズがいじめに来ることもありました。 そんなに歌うメジロをなぜメスだと思うのかというと、メジロのさえずりは「チョウベエチュウベエ、チョウチュウベエ」なんて聞きなされる長い歌ですが、これだけは歌っていた記憶がないのです。 ちなみにさえずりとは、メスに求愛するためや、縄張りを主張するための、オスだけが歌う歌のことだそうです。カラスやモズのようにさえずらない鳥もいます。また、ニワトリなどはさえずりとは言わず「ときをつくる」と言います。(よね!) モはがキイキイ、キチキチと鳴くじゃないかと言う人もおありでしょうが、あれは高鳴きと呼ばれ、縄張りの主張ではあっても求愛には使わないとか。たしかに高鳴きは秋の風物詩ですね。じゃあモズはどんな求愛をするのかというと、別の鳥のさえずりを真似るのだとか。
メジロはメスも歌うのだということに話を戻しましょう。鳥の専門家は「さえずり」以外の鳴き声を「地鳴き」と言います。たしかにウグイスなどはその2種類(さえずりにも、ホーホケキョとケキョケキョと、少なくとも2種類あるのですが。)しかないかもしれませんが、多くの野鳥は、さえずり以外にも「歌」としか言いようがないような鳴き方をします。 カワラヒワは、キリキリコロコロという明るくかわいい声で鳴き交わしますが、これは地鳴きとのこと。さえずりは「ビーッ」という地味で陰気な声です。ヒヨドリは時々さえずるように歌いますが、ヒヨドリはさえずらない鳥とされています。 私たちが朝夕散歩する森に住み着いていたインドクジャク(それだけでも謎ですが、その話は別の機会に)は、繁殖期の長く美しい飾り羽を落とした秋になってから、人家の屋根に上がって奇妙奇天烈な歌を歌っていました。
鳥頭だの、鳥は3歩歩くと忘れてしまうだの、鳥は愚か者の代表のように思われてきましたが、実際にはかなり賢い生き物だとわかってきました。何度でも言うけれど、カラスの記憶力や好奇心、悪知恵は相当なものです。 要するに鳥というものは、ただ本能の命ずるままにさえずるのではなく、感情や気持ちを表現する手段として歌うのではないでしょうか。 あまりに小さくて、森では視界でとらえることがむずかしいカラ類、シジュウカラやヤマガラ、時にはもっと小さなエナガはいつも群れで行動していて、バラエティに富んだ鳴き方で鳴き交わします。シジュウカラには親子で呼び合うときの特別の鳴き方もあるようです。彼らの鳴き方の豊富さは、野鳥が声で伝達や表現をするためで、私たちが想像する以上に複雑な文法を持っているのかもしれません。 そう考えると、森の奥から聞こえてくる彼らの歌声が、少し違って聞こえてきませんか?
そうそう、鳥の直系の先祖といわれる恐竜も歌っていたのかもしれない。それはどんな歌だったのだろう?
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