おもちゃの収納箱から思う事 片付けの意味と心
遊んだ後の『かたづけ』は気持ちの区切りです。 後味のいい体験をさせてあげたいです。
子どももたちがあそびきって、自力でそのおもちゃを納めるべきところに収め切った時の満足感・充実感や自己貫徹感の中に『こどもたちの心の育ちの片鱗』を私は見出します。
子どもたちにとっては生活の中で大人の都合などから『片づけなさい』といわれ…そして、かたづける場面がしばしばあります。 けれども、できればこの時不承不承にいやいや片づけているというのではなく、むしろ活き活きと片付けているとか、晴れがましく方づけているという姿に出会えることは稀ではあります。私は、そのような場面での彼らの心の内と一つでも多く共感したいと思います。 小さなプライドからより一層大きなプライドが育っていく過程なのです。
おもちゃを整理分類して納める収納箱に例えば「ヒャッキンショップ」辺りで適当なカゴやケースなどを見繕って保育室のおもちゃ収納庫や収納棚にカゴを配備しているというのは多々あります。 もしくは空の牛乳パックをベースのひな型にして複数のパックを組み合わせて用を足しているという保育現場も多々あります。
出来合いの寸法で納めているのでカゴも空パックも収まり加減が程よいという実に稀な場合のほかは「ガバガバ」であったりムッギュゥッと「キツキツ」であったり、または収まり切れずにはみ出し溢れていたりてんこ盛りになっていたりしています。 収めようとした時の心持の有り様は今一つすっきりせず、また、何となく全体に雑然とした風景が生まれます。 雑然さはモノの扱い方を粗雑にさせ丁寧さや注意深さのセンスを鈍感にさせていきます。保育者たちは日々実に雑多に忙しいこともあって現状がここまで見えていても、その先まで踏み出す現場は少ないです。 収納に関して寸法的なりの近似値はまさに『仏作って魂入れず』で、子どもたちの心の育ち加減や現状に対して無神経です。
子どもの心の育ちを大切にしているのなら思い切って発想を変えてみましょう。
最初に出来合いの寸法があってそれに合わせるという安易さをやめて収めようとするおもちゃの数量や体積に応じてふさわしい寸法を洗い出して作り変えたいものです。
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