あけましておめでとうございます。
今年は戌年、とはいえ、わがやの同居犬のハッチ爺さんも年をとり、寝てばかりです。起きても節々が痛むのか、よろよろしながらのびと、床にごろごろ転がるというリハビリ体操しないと血がまわらないようです。
でも、食い気と多動ぶりは相変わらずで、散歩のたびに振り回されている毎日です。
話変わって年賀状についてです。
年賀はがきの売れいきがジリ貧で、郵便局員が大量のノルマを課され、達成できない時は自己負担なのだそうです。合唱団の伴奏をお願いしている娘さんが高校を卒業して郵便局に就職したものの、明らかに鬱状態になっているようで、みんなで心配していたのですが、ブラックな職場が最大の原因ではないかということになりました。年末が近づくと、はっきりと顔色が悪くなるのです。私たちも協力して年賀はがきを買ったのですが、一方では配達に来るお兄さんからも頭を下げられて板挟みになりました。
年賀状が売れない原因は、メールやSNSにもあるでしょうし、個人情報の問題もあるのでしょう。
でも一番の原因は学校にあるのでは? 年賀状を出すという習慣は小学校の授業で教えられるからです。友だちや先生に年賀状を出すというのは、国語、図工などの総合学習でもあり、文化の継承という「道徳」のテーマも満たすことになります。
中学校でも、担任する生徒ばかりでなく、卒業生からも年賀状が届きます。数人は大人になってからも送ってくれます。しかし、退職した当時の卒業生からのものはほぼゼロです。まあ人気がなかったからと言えばそれまでですが、実は彼らは同級生や教職員の住所を知らされていないのです。もちろん、個人情報だからです。
学校では、名簿や連絡網を配ることをやめました。卒業アルバムにも住所録のページはありません。もし緊急連絡があれば担任が直接連絡するし、子供同士はケータイやスマホで事足りるのです。
ことの良し悪しは別にして、これが現実です。年賀状が売れないのは当たり前のことであって、それを知らない郵政公社?が社員にノルマを課すのは犯罪的でさえあります。
ところで、ぼくの退職直前、ある卒業生から電話がかかってきました。聞けば、ぼくの連絡先を卒業した学校に問い合わせたところ、個人情報をたてに頑として教えてもらえなかったとのこと。たまたま妹の子が生徒だったので、妹が問い合わせてようやく異動先がわかり、それをたどってようやく連絡がついたとのことでした。
なにもかも便利になったという現代、以外なところで「尋ね人」の時代のような不便な状況があるということは、なんとも皮肉です。