映画であれ食べ物であれ、世間の評判というものを信用できない質です。行列に並ぶくらいなら、裏通りの忘れられたような店を選ぶか食事を抜いて我慢するほうがましだと思うのです。前評判につられて入ったらまずかったというより、たまたま入ったら意外においしかったというほうがずっといいと思いませんか。
インド音楽のラビ・シャンカールは、独身時代、横浜市主催のインド映画を見る会で偶然知り、それからファンになりました。
レコード店で見つけたのはフォルクローレのメルセデス・ソーサでした。これも独身の頃、横浜の繁華街の裏通りの小さなレコード店で、気になったジャケットがありました。横を向いたインディオのような女性の大写しで、ベージュ色のポンチョを着ていました。これがメルセデス・ソーサでした。彼女は、当時軍政下にあった祖国アルゼンチンに抗議し、南米の美しい民謡やプロテストソングを歌っている歌手で、低く落ち着いた声の持ち主で、以後、日本で発売されたアルバムはすべて買うほど熱を入れたものです。
来日した時には無理して聴きに行きました。先日、彼女が亡命先ですでになくなっていることを知りました。
同じように偶然見つけたのが小野リサでした。レコード店(いや当時はCD屋さんかな?)で流しているのを聞いて知ったのです。オノリサって日本人なのか?歌っているボサノバは本物だしなあ。ボサノバが刻むコードやコード進行は、メジャーでもマイナーでもない無機質な音色を醸します。彼女のハスキーな声もまた力が抜けて、感情をあらわにしない。それがむしろ心地よいのです。いわゆるアルファー波というものを出しているのかも。
その小野リサのコンサートが庄内町の響(ひびき)ホールであり、聴きに行くことができました。地方都市ではs知る人は少ないだろうと思いきや、近所の書店では売り切れ。やっと手に入れたチケットはバルコニー席で、パイプ椅子が並べられていました。今では地方の小都市でも売り切れになるほどの人気だとは認識不足だった。
それにしても、観客の同世代の男性たちはおしゃれです。黒いソフト帽をかぶった人は白髪をポニーテールにしています。ツルツルにはげたおじさんは真っ赤なセーターに黒のトンビ型マント、ファッションも個性的。素敵だなあ。千昌夫が扮するほっかむりした東北の親父なんて、もはや存在しないのか。少なくとも団塊の世代にはあてはまらないのかもなあ。
演奏は、バックバンドは伴わず、唯一フェビアン・レザ・パネというピアニストがついていました。パネ氏のピアノは低音がほとんどなく、軽やかでセンチメンタル、無機質な小野のギターと歌声にマッチしていると感じました。
小野はサンパウロ生まれで、10歳までブラジルで暮らしたという「帰国子女」のようです。よく、日本人の心の底には「怨」が、韓国人は「恨」があるなどと言います。それに該当するブラジルの心は「サウダージ」でしょうか。ある日系ブラジル人の子に聞いたところ、サウダージというのは郷愁とか憧れとかいう感情に近いということでした。ボサノバはまさにそのサウダージを魂とする音楽だと思います。日本人から見たら、底抜けに明るいように見えるブラジル人の中にある繊細な部分ですかね。
さて、コンサートは「黄昏のビギン」で始まり日本のポップス、それからアメリカのスタンダード、そしてボサノバへと進みました。
ボサノバを日本に身近なものとして伝えた小野ですが、最近は日本の歌たくさんカバーしています。彼女にとって日本の歌はどんな位置づけになるのかなと思いました。ぼくたちのように昔懐かしい曲というのではなく、日本をルーツとするブラジル生まれの彼女にとっては、新発見であると同時に、ルーツをくすぐるサウダージ、自分の中にある日本を発見するようなものなのではないかと思ったのです。ぼくたちが古い歌謡曲を歌おうと思ったら、オリジナルに似せようとか、いや似ないようにしようとか考えます。しかし、彼女は自由に自分流(ボサノバ風?)にして歌っているのがむしろ好ましく、うらやましくさえ思えました。
終了後、CDを買った人がサインをもらおうと行列をしているのを見て、こんな地方都市にも大勢のファンがいることに驚きもし、嬉しくも感じたのでした。
もちろん行列には並ばず、従ってCDも買わずに、預けておいたハッチくん(犬)を引取りに行ったのですが、後でユーチューブで「黄昏のビギン」を見つけて聴きました。
ぼくたちのバンドでもレパに入れたい「黄昏のビギン」、参考になるかもしれないと思いながら。
寒波も底を打ったとのこと。今日は太陽も顔を出しました。帰り道で見た夕焼けです。そして水面は最上川。