「君たちはどう生きるか」のブームで思い出したこと
「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎)がブームだそうです。古典的名著が広く読まれることはいいことですね。行列ができることも並ぶことも嫌いなぼくですが、こんな行列ならおおいにけっこう。 ぼくがこの本に出会ったのは社会人になってから。つまり教員になってからです。薦めるべき国語科の教員なのに、それまで知りませんでした。たまたま試験監督に行った教室の学級文庫の中にあったのです。監督中に本を読むなどけしからんとお思いでしょうが、なにもしないでいると睡魔が襲います。そこで、教室の真後ろに立って、時々目を落としていました。(監督が生徒の死角に立つというのは一つのワザですね。今ならそれも許されることではなく、処分を食うでしょうが。)) その後、やはり学級文庫にあった「生きることの意味」(高史明=コ・サミョン))と出会いました。まるで「君たちは……」の答えのような本ですが、戦中、戦後を生き抜いた一人の在日朝鮮人のすさまじい魂の遍歴に衝撃を受けました。そして、赤十字の「帰国事業」で北朝鮮に帰国した同級生で落ちこぼれ同士で仲が良かったKくんを思い出したのです。彼もまたすさまじいいじめを受け、「母国では軍人になり、出世して大元帥になり、日本に宣戦布告して日本を滅ぼす」という挨拶をしたKくんに、ぼくは愚かにも「K、そのなかにはぼくも入っているのか?」などと尋ねたのでした。 今の北朝鮮を見ると、まるでKの復讐心が乗り移ったのではないかと思えるような動きですが、一方で、彼はもはや生きてはいないのではないかとも思えるのです。 彼と高史明氏のその後の生き方を分けたものは何だったのか? また、高史明が、この本を通じてもっとも語りかけたかったであろう愛息子を、自死でなくしてしまうということもあったのですが。
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