丁寧さ・考 その4 生かすも殺すも
「丁寧さ」も1から10までよいこと尽くしではありません。 過日、某懇親会に出席しての体験。 そそっかしい私は早とちりから宴の会場を違うお店で開催されると思い込んで出かけてしまいました。集合時間ぴったりに入店したものの大間違いでした。 その店の店長が私の宴の本来の会場を検索してくれて大急ぎで移動しました。 そんなこんなで一時間強ほど遅刻しての懇親会参加となりました。 ですからどのような雰囲気で宴が展開していたかはわかりません。 後から気が付いたことですがほとんどの人がごく少量の飲酒であったようです。 けれども遅刻した分取り戻そう…というのではないのですがそこそこ飲酒しました。 64歳ともなると懇親会歴も豊富です。 昨年10月に脳卒中をしていますから私としてはかなり控えめの飲酒でした。 さてお時間となり宴はお開きになりました。 飲酒をしているからという理由で私の帰り道を心配して大変丁寧に気づかいしてくれます。 気遣う側からすればこちらは64歳のロートルとして映ります。 64歳は若者とは認められていませんから、老齢加減にかんがみ「帰路の安全」をおもんぱかってくれる訳です。 丁寧さも濃厚になり過ぎますとこちらの自尊心が揺らぎ、果ては腹立たしささえ覚えるほどです。 「丁寧さ」もそれを発する側と、受け取る側が感じ取る「丁寧さ」には温度差があります。 これは「丁寧さ」についていろいろと深く考えさせられる良い体験でした。
話はもう一つ別の話題に移ります。 新年度が始まって配置換えがあり新たなチームメンバーと具体的な仕事の中身を造っていく時期です。 個々のメンバーのそれぞれの好みの傾向やらこだわりやらを探りながらお互い手加減しつつ相互理解を深めていきます。 思い込みや勘違いなどからギクシャク未遂も生まれます。 こうした状況の中で「丁寧な伝え」のやり取りの質が問われてきます。 自分にとっても他人に対してどこまでツボを得た丁寧な伝えができるかが問われてきます。 一般的に言って、人はそれぞれ自分で納得したい方向が漠としてはいても、だいたいあるもので、その方向に情報を引き寄せ集めて理解を進めていくものです。 そこらあたりを推測しつつ1から10まで事実のすべてを情報公開するのではなく部分的事実を拾い出して伝えます。 これは不親切や不実からくるものではありません。 部分的事実の周辺には相手が想像力でそこを埋めていきやすいように解釈の余白を用意しておきます。 自分自身が抱いている「納得」と相手が感じ取る「納得」にも温度差があるからです。 これもまた丁寧さの一つの表現態だと考えています。
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