双葉町 そして夜ノ森のツツジについて
太陽が海から昇る双葉町もう戻らない昭和懐かし 七年を経たる樹木の繁茂してアンコールワットになるや我が郷 (開発廣和)
「開発って双葉にはよくある苗字なのよ」と5歳しか年の違わない叔母から聞いたことがある。ずっと年上の叔母が亡くなり、双葉町(福島県)の墓地に行ったときのことだ。 斎場に来ていた別の葬儀に来た家族が乗ってきたマイクロバスに「ホテル百足屋」と書かれていた。そのとき「百足屋は浪江のホテル。でも百足さんて本名よ」とその叔母に聞いたので、墓地で見つけた「開発」という名を話題にしたのだった。 冒頭の歌は、6月20日の朝日歌壇に載ったものだが、住所は二本松市とある。双葉町は今も全住民が避難中だが、国も県も、そして役場も、現実味の薄い非難解除を前提に動いているようだ。しかし多くの住民は疲れきり、帰還の幻想から醒めつつあるように思われる。 7人兄弟のうち、ただ一人双葉町に残っていた末の叔父も、帰還をあきらめ郡山に家を建てた。地震で壊れず、津波も届かなかった双葉の家は、動物に荒らされて見る影もないという。 生後数ヶ月で父母に抱かれて上京したぼくには、双葉町への郷愁はかけらもないのだが、時々訪れた時に見た太平洋に昇る朝日や真珠色の海、砂丘の松林を越えると開ける広い砂浜、潮騒の音などが懐かしい。もっとも1970年前後に訪れた時には、チリ津波の教訓から築かれた防潮堤と、やせ細った砂浜、遠くに見えた発電所のために、全く見知らぬ風景に変わってしまっていた。 思い出といえば、いつ行ったのか覚えていないのだが、常磐線の長塚駅が双葉駅と名を変えた後のことだとは思う。夜ノ森駅を通った時、プラットフォームに植えられたツツジの植え込みが見事に咲いていた。そういえば、父から「夜ノ森のツツジはいいぞ」と聞いたことがあった。あれがこれなのかかと心のなかでつぶやいたものだ。 夜ノ森(富岡町)を知っている人と話をすると、どこか食い違ってしまうのは、多くの人が「夜ノ森は桜の名所」と刷り込まれているためだ。「懐かしいねえ」と言われても、ぼくは見たことがないので、そうですかと言うしかないのだった。しかし、叔父や叔母だけは共感してくれる。夜ノ森は双葉の二駅手前の駅で、みな通りすがりにツツジを見たのだろう。 夜ノ森駅も双葉駅も、もう常磐線は通っていない。再開してもきっと路線が変わって山側に迂回するはずだ。廃墟となったフォームで、伸び放題のツツジは今も咲き乱れているのだろうか。ここにもアンコールワットがある?
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