万里の松原というのは、庄内の暴雨風防砂林である松林の一部です。ある時期放置されていたらしく、松林といっても雑木が目立ちます。市はむしろその雑木を活かし、市民が憩える雑木林として整備したのが現在の万里の松原であるらしい。いや勝手な憶測ですが。
もちろん送電線の下は木が伐採され、ご多分にもれずその土地は「違法耕作地」として有効利用されています。庄内名物のアサツキが栽培され、アカシアが咲く5月末には、アサツキ畑も一斉にラベンダー色のネギ坊主を揺らすのです。
その畑に隣接して、白い花を咲かせる小さな並木があります。案内板によればサンザシ(山査子)の並木で、中国の唐山市から贈られたものだということです。秋には姫リンゴのような小粒の赤い実をつけるのですが、採る人もなく最後には腐って落ちてしまいます。
中国では水飴をまとった山査子を長い串に刺し、それを頭に乗せて自転車で売り歩く「山査子飴売り」を見かけるそうです。いや横浜の中華街で実際に見たことがあります。
でも酒田の山査子並木は、人のほとんど通らないような場所にひっそりとあるのです。「酒田市もひどいじゃないか、日本の中国への市民感情が悪くなったからって、せっかくの贈り物をこんなに邪険に扱うのでは、あまりに礼儀に反するだろう。」なんて一人で怒っていたのですが、あるときこんな話を聞きました。
サンザシが植えられたこの丘を海側に抜けると、沿海部の工場地帯があります。戦時中、ここに中国人捕虜が連行されてきて強制労働させられ、多くが病死や餓死しました。あるとき数名が脱走し、発見された1名を住民が集団で殴り殺してしまったというのです。(他の捕虜も死亡)戦後、駐留米軍が捜査に来たということですが、なんとなくうやむやになったと。真相はわかりません、あくまでも一老人の記憶に基づく話です。
もしかするとサンザシはその現場に近い場所に鎮魂のために植えられたのかもしれません。しかし、サンザシの案内板もこれについては沈黙しています。慰霊祭は毎年市内の海晏寺で行われています。