東京、中野坂上であった中学校同期会の翌日、毎回そうするようにホテルから新宿まで歩いた。そしていつもそうするように、途中で青梅街道を少し外れて中央公園側に回ってみる。すると、ヒルトンホテルから1ブロック駅側の交差点に、このモニュメントがある。
すでに名所になっているらしく、いつも自撮り、他撮りの人で賑わっているのだが、コマーシャルなのか、芸術作品なのかも、田舎出のぼくにはわからない。でも、このデザイン、色彩、日本離れした感じに惹かれて、ニヤリとしてしまう。
しかし……。
酒田への帰路、いろいろあったことは前述の通り。で、酒田での日常に戻ってみると、テレビからは子どもの虐待のニュース。
「心愛」「結愛」、読み方もわからないしキラキラネームは気に入らないけれど、こんな美しい漢字を使った名を子に与えた親が、何があってその子を残酷に死なせてしまうのだろう?
ぼくが最後に引率した中学校の修学旅行で、驚くことがあった。今時の修学旅行はホテルを使うことが多いのは周知の事実。サービスに人手が要らないこと、一部屋あたりの人数が多くても3人なので管理も簡単だからだ。食事もバイキング方式が多い。もちろんこれもホテル側の人手が省けるからで、ホテルでマナーを教えてもらうなどというのは既に昔話なのだ。
それでも教員には「食事」は教育指導という意識が備わっているので、彼らの食事中も巡回指導をするのだが、生徒たちはとんでもないいたずらをやらかすのだ。テーブルの胡椒やラー油を大量に入れて食べてみたり、食べさせたり……。「食べ物で遊ぶな」などという常識はまるでない。いじめはこんな場所でおこりがちでもある。それは予測済みのことであって驚くにはあたらない。驚いたのは、ぼくのクラスの女子の一人が、皿いっぱいにケーキを盛り上げたことだ。「それはデザートだぞ。まずメインから食べるんだ」という言葉が通じないことに驚いた。理由はここで書くわけにはいかないが、彼女が家庭でネグレクト状態にあることは知っていたが、食べるという基本的な「文化」さえ身につけていないことがショックだったのだ。
この学校の子どもたちは、とにかく荒れていた。放課後、地域を巡回してみると、多くの子どもは「マンション」の前に鞄を放り出して遊んでいる。遊ぶのは小さな公園や路上で、近くの99円ショップなどで食べ物や飲み物を買い、遊びはほとんどゲームだった。
親は仕事に追われ、子どもに向き合う時間も心のゆとりもないといったところだろう。
万引き、喧嘩などで親に会うこともあるのだが、本当に疲れきった顔だった。
親は、子どもの愛し方を知らない、そして子どもは愛されかたを知らないというのが、その職場での実感だった。当時「生きる力を育てる」というのが、文科省や教育委員会が掲げたスローガンだが、生きる力というのは、その子が愛されていること、必要とされていることを実感することの上に成り立つことなのだと強く思ったことだった。
虐待のニュースでも、親が子どもを愛していなかったとは思えない。ただ愛し方を知らないとこんな悲劇を起こしてしまう。愛し方を知らないのは、彼らもまた愛された実感をもてないまま大人になってしまったからなのだろう。