発想の転換・・・やりたいこととやれること
毎日あれもこれもとやりたいことが沢山ありました。体力が旺盛だったころはガンガンやっていました。 気力は落ちてはいませんが、近年は体力と視力(老眼)が弱ってきているので、疲れやすくまた疲れてからの疲労回復に暇がかかります。 かつての頃のテンポやペースであれもこれもと手を広げすぎると、気が付けばどれ一つ仕上がっていない中途半端な状態が散乱しまくりです。 モチベーションが下がるばかりか時にはあたかも過呼吸症みたいになってパニックってしまうこともありました。負のスパイラルです。 自分の今の持ち合わせている力量を見つめ、やり方を変えないと事態は打開できません。 そこで発想を変えるところから始めました。 『あれもこれも』ではなくて今日やるべき事の最優先課題は『あれとこれ』というように日々のテーマを絞り込みます。 自己満足ではなく一区切り(時には一件落着感)を実感できるようなエネルギーの注ぎ方に変えました。 神様は越えられない試練はお与えにならないといいます。 そのためでしょうかこの頃は以前よりも天の神様に話しかけている暮らしです。 忍耐力を鍛える良いめぐりあわせがたまたま重なってきていると受け止めています。 死んだ父親の口癖「短気は損気」を思い出します。短気を起こしては損なのです。 身体は一つ、手は二本、足も二本ですから同時にあれもこれもはやれることに限りがあります。限りがあるのは仕方のないことです。 やりたいこととやれることのせめぎあいもこれまた仕方のないことです。 自分を見失わないよう、何をしたくてこの世に生まれてきたのだろうかを繰り返し自問自答します。 ちょっと冷静さを取り込んで「複眼」で思考すると仕方のないことの整理が付きやすくなりました。 「起きて半畳、寝て一畳、天下とっても二合半」先人はいい言葉を残してくれています。 話はちょっと変わります。今を去ること数年前のこと。 ムカシ体育の先生で鉄棒から落ちて頸椎を損傷し、その方が口に絵筆を咥えて描いた絵のこと(その絵はアヤメか花菖蒲の絵でした)をうろ覚えながら思い出します。 その絵の描かれた余白に、あんなに汚い泥水を飲んで生きているのにこんなに美しい花を咲かせているといった意味合いの感動が書かれていました。 花に対しての驚嘆と同時に自分自身に引き寄せて魂を鼓舞しているような短文でした。 とてもインパクトを感じさせられました。強い共感を改めて噛み締めています。
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