カマキリには瞳があるように見えますね。じっとカメラ目線です。
このキノコはカップケーキを連想するのですが、
でも名前はノウタケ。脳茸です。その理由は……2日後の写真です。
こんなふうにシワができてくるのです。だんだん人の脳に似てきます。胞子の撒き散らし方がおもしろい。全体が劣化したスポンジのように崩壊して、ホコリのように胞子が飛び出るのです。誰が脳にたとえたのだろう?怖いなあ!
ところで先日、夜の11時ごろ北の窓を開けてみると美しい星空でした。ここ酒田に来てから、北の星空など見たことがなかったなあ。鳥海山の方向、つまり北東にあたるのか、ひときわ輝く星が見えます。チカチカと瞬きながら赤くも青くも見えるような気がします。残念なことに、星の知識はほとんどないので、その星が何座の何という名なのか、まるでわからない。見つめていると、スーッと長い尾をひいて星が流れました。。
思いついたのが「銀河鉄道の夜」に登場するアルビレオ。いや、あれは白鳥座の星だから違うか。ネットで調べてもわかりません。カペラ?アルデバラン?今のところ決め手がないのです。だれか教えてください
さて、昨日の朝日俳壇に、高山れおな選でこんな句がありました。
猫の目に近き火星や熱帯夜 (川崎市 多田敬)
始め、火星を猫の目にたとえているのかと思ったのですが、それなら「猫の目のごとき火星」とか「猫の目に似たる火星」とすべきでしょう。火星の何が猫の目に近いのでしょうか。
と悩んでいると、ハッと思い当たったことがあります。考えすぎだったようです。
昔、中学校の国語の教科書にある詩が載っていました。海の風景を描いた詩でした。その終わりのほうに「目があらわれる」という表現がありました。いわゆる叙景詩だったので、水面か水中に現れたなにかを目にたとえたのだろうと思いました。生徒もそう思い、では何をたとえたのかとなると、さっぱりわからないのです。しかし、もうおわかりでしょう。「あらわれる」は、「現れる」ではなく「洗われる」だったのだ。海の風景というか美しさというか、それに眼を洗われる思いがしたと言っていたのです。これに気がついた時、まさに「AHA!」というか「エウレーカ!」というか。「洗われる」と「現れる」では、朗読するとイントネーションが違うから、気をつけなければなりません。
「猫の目に近き」も文字通り、実在する「猫の目」だったのです。エウレーカ!
火星の最接近は終わりましたが、まだまだ妖しい赤い光を放っています。そして、南の空にはもう一つの赤い星があります。宮沢賢治が強い思い入れをしていたらしい「さそりの火」、そう、さそり座のα星「アンタレス」です。
初めて見たのは、連れ合いの実家に「帰省」した夜行寝台車(上野発、新潟経由、羽越線まわり酒田行き)の窓からでした。東京でも横浜でも、夏の星はあまり見えませんね。南の眺望がよくないことや、夏の空気の高い湿度のせいです。新潟あたりの車窓から斜めに横たわるさそり座を初めて見たのでした。赤い星アンタレス(サソリの心臓にあたります)を中心にして、右上に広がってサソリのはさみを形づくる星がある一方、アンタレスから左下に長い尾を引いています。その尾は、はてなマークを裏返したようにくるりと巻いて、その先端、サソリの毒針のあたりに小さな2つの星がキラキラと光っていました。同じくらいの明るさですが、色が違います。黄色と青だったかな、いわゆるオッドアイの猫の目のような星です。後で調べると、その2つの星は「猫の目」と呼ばれているらしい。
そうだ、先述の句の「猫の目」はこの星に違いない。惑星である火星は、毎日位置を変え、この日は「猫の目」の近くに見えたということだったのです。
比喩でもなんでもない。素直な写生句だったというわけでした。
PS.その後、ノウタケは崩壊しました。劣化したスポンジのようですが、このよ うな形で胞子をばらまくのではないかと思います。