ゲーム脳について真剣に考えるべきでは?
「eスポーツ」がオリンピック種目になるのだそうだ。ゲームがスポーツだという主張はぼくには理解できない。世間は電子ゲームや電子機器のリスクを甘く見てはいないだろうか。人は脳が肉体を支配していると考えるだろうが、その脳は肉体の成長に伴って発達するのだということは忘れてはならない。もちろん肉体の成長には、親、友だちなど他者との直接の関わりが不可欠だということも強調する必要があるだろう。 ぼくが中学校で経験したある悲劇を思い出す。 その女生徒の両親は教員だったのだが、彼女が生まれたころ、アメリカの新しい育児論が脚光を浴びていた。インデペンデンス(自立、独立)という言葉が流行していたころである。 「自立した子どもを育てるためには、できるだけ子どもと接触してはならない。授乳するときも抱き上げてはいけない。泣いても放っておきなさい。」 彼女の両親は、我が子を自立した人間に育てるべきだと思ったので、この育児書の教える通りに、心を鬼にして我が子を別室に置いて放っておいた。そのかわり、泣かないようにテレビを見せていたのだそうだ。 やがて首がすわり、立ち上がり、歩き始めるようになると、異常に気がついたのだという。子どもと視線が合わないのだ。そして言葉の発達が極端に遅れた。 件の育児論が批判されるようになったころ、両親も間違いに気づき、母親は退職して育児に専念したという。しかし、中学生になったその日まで彼女と心を通わせることはできていないと母親は嘆いた。 学校でも、彼女はいわゆる場面緘黙という症状を見せていた。一言で言えば、学校で全く口をきかないのだ。着ているものは不潔で、髪もにおい、皮膚もカサカサしていたので、ぼくは親による虐待かネグレクトを疑っていたのだが、家庭訪問で聞かされたのがそういう経緯だった。 本来なら、親との緊密な接触によって、言葉やそれに伴う愛情や感情が発達する重要な時期に、この親は積極的に、良かれと思ってネグレクトしていたのである。その結果は、娘からの逆ネグレクトだった。母親の触れたものをことごとく拒否するようになったというのだ。着替えも、入浴も、食事も拒否しているのだという。そして家族が寝静まった夜中に冷蔵庫を開けて、何かを食べているのだと。 彼女は不登校になり、自室に引きこもり続けた。親の後悔も謝罪も受け入れなかった。受け入れるための感情が育っていなかったからだ。 彼女が3年生の時、ついに和解できないまま母親は病死した。 彼女のケースにはゲームは関与していないのだが、そのかわりテレビが関わっている。身近な人との関わりが必要な時期に。 いわゆるゲーム脳というのも、ゲームが有害か否かということとは別に、人との直接的な関わりが必要な時期にそれに代わってゲームやらケータイやらが介在することが、発達に重大な影響を与えるのだと思う。 ゲームにふけるあまり、昼夜逆転して不登校になった生徒がいた。彼もまた、人とまっとうなコミュニケーションができない子どもだった。冷笑を浮かべ、意味のわからない主張をするのだ。 昨今、教室では「発達障害」を疑われる子どもが増加していると感じる。「いじめ」も、被害者も加害者もそんな子どもだったりする。コミュニケーション力の未発達が摩擦を引き起こすのだ。 犯罪だって、動機がわからない例が多くなっているような気がするのは、ゲームなど電子機器が心身の発達に影響を及ぼしているからではないのか。
未成年者の喫煙対策(たとえば自販機の撤去など)が手ぬるかったのは、その裏にタバコメーカーの圧力があったからだと思う。今や大都市ではほとんど喫煙できる場所がなく、多くの喫煙者が苦しんでいる。タバコ産業は、アヘン戦争当時のイギリスと同じことをしたと思う。 ゲーム脳の研究や対策が進まないのも、ゲーム業界や電子産業の圧力があるからなのではないか。しかし我が子と和解できないまま、悔やむ気持ちを抱えて亡くなったあの母親のように、気がついた時には遅すぎるということになってはならない。
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