前回紹介した、遊佐町白井新田の棚田の中の一本道。
この道には電柱も、防雪柵もなく、背の高いものといえば、雪で車が脱輪しないように立てられた赤白のポールだけ。
平原の猛禽類ノスリは、電柱や高い木の上で、あるいは上空でホバリングしながら地上の獲物を狙う。しかし、ここでは低いポールで間に合わせている。それでも地上のネズミやモグラを待ち伏せするのに充分なのだろう。
じっと地上を見下ろしているノスリの後ろ姿というものは、哀愁を帯びていて、なんとなく共感を覚えてしまう。
それをカラスがみつける。カラスは繁殖期でなくてもパートナーとともに行動していることが多いのだが、カラスという鳥は自分たちも小鳥の卵やヒナを襲うくせに、タカやトビなどの猛禽類を目の敵にする。このときも、オヤジ狩りを楽しむ街のチンピラよろしくノスリをいたぶりにかかった。「触らぬ神」にと立ち去るノスリをしつこく追いかける。よく見かける光景だ。
酒田に移住した年、偶然ノスリの巣を見つけた。6月だったろうか、散歩の途中、何か野草の花が気になって松林の中の小道を外れて一本の古い松の木に近づいた時だった。上空から鋭い声が聞こえた。それはトビの「ピーヒョロヒョロヒョロ」の最初の「ピー」のような声だったが、「ピーウ」と聞こえた。警戒するように何度も啼いている。翼の裏が白っぽい猛禽類がせわしく飛び回っている。これは巣があるにちがいないと直感して小道に戻り、その木を振り返ると、果たして高いところで枝分かれしているところに、大きな巣があった。樹の枝で作ったらしい黒く見える巣の中に、緑の松の枝も見えていた。
以後、毎朝その場所を通るが、気配はなくなっていた。結局この巣は放棄したのだろうと思いながら、でも気になって時々見上げていたのだ。
ある日、巣の中から白い顔がピョコンと突き出してきた。
お化けのジャスパーみたいなヒナが、きょとんとした顔で見下ろしているのだ。すると、この巣は放棄されてはいなくて、親はずっと卵を暖めていたのだろう。そして今では母親が餌を捕りに行けるほどヒナが成長したので、今は一羽でお留守番なのだろう。親がいるときは、下の道に人の気配がするときは決して顔を出してはいけないと注意されているのだが、今はひとりぼっちなので好奇心に負けてしまったというわけだ。顔をのぞかせなくても、ピー、ピーと鳴いているときは留守番中で、「お腹すいたー」と言っているとき。静かなときは親が帰ってきていると推測できた。
ごくたまに顔をしか姿を見られないので、かえって成長がわかった。ジャスパーの顔はだんだん鋭い顔になり、羽も茶色がまざり、翼もしっかりしてきた。そしてある朝、ピーという声は巣の外から聞こえてきた。いよいよ巣立ちの時が来たのだ。これでヒナとはお別れだと思ったらまた巣に戻っている。そしてまた外に。
巣立ちというのは、巣から出るというだけのことで、あいかわらず親に食べ物をもらうのだ。しかし行動範囲はしだいに広がり、7月になるとついに親子とも姿を消してしまった。
この猛禽類がノスリだとわかったのは、たまたま鳥海山麓にある「猛禽類研究所」に行った時だ。イヌワシ保護のために作られた施設だが、ワシ以外の猛禽類も紹介されていて、啼き声も検索できるコーナーがあった。「ピーウ」というおなじみの声は、ノスリという草原や田畑で暮らす猛禽だとわかった。また、猛禽類の多くが松などの針葉樹に巣を作り、巣の中に針葉樹の葉がついた枝を敷いて、食べ残しの腐敗をふせぐのだということだった。
8月の初めごろだったと思う。散歩中、例の巣の近くを通りかかると、カラス大の鳥が後ろからすぐ横を通り抜けた。カラスにしては茶色く見えた。そしてその鳥は、ぼくたちの前方の枝にとまってこちらを見ている。持っていたカメラで「激写」するも、その鳥はしばらく動かない。(その後わかったことだが、一般に鳥は、カメラを向けた瞬間に、危険を感じて飛び去ってしまうのだ。だから、この鳥はあまり警戒心をもっていなかったか、経験が浅かったのだろうと推測できる。)
その時の写真がこれなのだが、その後出会った多くのノスリは、これよりも白っぽい色をしている。このノスリは、猫なら黒猫にあたるような、特に色が濃い個体なのだろう。
きっとこのノスリは、あのヒナなのにちがいない。時々、親の言いつけを破ってぼくたちを見下ろしているうちに、いわゆる「刷り込み現象」によって親しみを感じるようになったのではないかと思うことにした。
結局、このノスリとの出会いはその時の一度きりなのだが。
田畑でよく見かけるこのタカを、昔は「クソタカ」と呼んだそうだ。珍しいものではない上に、茶色い色合いからそう呼ばれたのだろうが気の毒なことだ。ワシやトビなどに比べると顔は平たく、目がとても大きく、あまり恐ろしげには見えない。ぼくはある女性アナウンサーに似ている気もするのだが。夜行性のフクロウなどは顔が平たい。獲物を立体視しやすいように進化したのだろう。ノスリも獲物のネズミやモグラを狩るので、早朝や夕方など、まだ薄暗い時間にもよく見えるように、目が大きく、平たい顔に進化したのだろう。
郊外の国道や県道では、冬に備えて防雪柵が整備されはじめた。早速、ここにとまって見張りを始めたノスリを目にするようになった。うつむいた後ろ姿がなんともわびしい。