キツネはコンと鳴かない……らしい
小学生のころのある冬、田舎の祖父母の家に一人で泊まりに行った。母方の祖父母はフィリピンからの引揚者で、福島県双葉町の山中の開拓地に住んでいた。当時はまだ電気が通じておらず、夜は薄暗い灯油ランプが灯るだけ。家族はそのランプの光が届く範囲に集まるしかないのだった。 朝、目が覚めるとまだ暗く、頭上に星が見えた。家の中なのに星? と思ったら、とうに夜は明けていて、星だと思ったのは節穴から外の光が見えていたのだ。 風呂場と便所は家の外にあり、夜はなにより恐ろしい場所だと思った。家の外には牛小屋もあり、茶色い牛が飼われていた。当時は牛を農耕や荷物運びに使うこともほとんどなくなっていて、この牛もただ飼われているだけだった。 後に叔母から聞いた話では、祖父はフィリピンでは水牛を飼い、これは農耕にも使ったらしいが、もともと動物が好きだったので、引き上げ後も牛を飼い続けたのだそうだ。フィリピンへの心残りもあったのだろうと。そういえば、父親の従兄弟は馬を飼っていたが、彼も好きだからという理由で飼っていたのだそうだ。(ちなみに、馬を飼っていたその家はぼくの生家で、農地開放後、親戚に譲ったのだという。ぼくが馬好きなのは、生後初めて見たのが馬だったからかもしれない。例の『刷り込み』というやつで?) さて、祖父母の家に泊まっていたある夜、叔父(といってもぼくより1歳だけ歳上なだけだが)が、「今、キツネ鳴いたど。」と言うのだ。耳をすましてみたが、寂しげな風の音以外、何も聞こえなかった。「んだ、キツネだな。」と祖父。「聞こえっぺした。ほら、また鳴いた」と叔父。 ぼくの耳に聞こえなかったのは、その声が遠すぎたことと、「コン」とは鳴かなかったからではないだろうか。「どんな声?」と聞いても「うまく説明できねえげんちもが、コンではねえな。」と言うだけだ。 次の日、叔父とその友だち数人が、ぼくを遊びに連れて行ってくれた。東京から来たぼくが自分を「ぼく」ということを、彼らにからかわれながら。わざと危険な場所を連れ回されたような気がするのだが、木や草が茂った崖のような斜面を登り、暗い穴の前に案内した。「これはキツネの穴だ。」と言う。なるほど、あたりには白い羽が散乱していた。羽の根元は赤い血の色をしていた。キツネが捕らえてきた鶏の羽に違いない。当時は白色レグホンという白い鶏が多く飼われていた。 そのとき、ぼくの中でキツネのイメージが、童話に登場する擬人化されたものから野生動物のそれへと、はっきりと変わった。
今朝、ビーグル犬ハッチの散歩のため、いつものように森の入口である駐車場に車を入れ、ハッチをケージから出した時のこと。成犬になって保護したビーグルゆえ、やむなくビスケットで躾をした「副作用」で、この時も「ビスケットよこせ」と吠えるハッチ。すると駐車場に隣接する高校んぽグラウンドの向こうからギャーンというような声が聞こえた。実はこのところよくこの声が聞こえていたのだ。遠くの海鳴り、松林の松籟の音、餌場に向かうカラスの声にかき消されながら、かすかな声だがそれが聞こえる。 必ず一声。犬の声のようで犬ではないような。ちなみにその方向にある人家はかなり遠いので、犬ではなかろうと勝手に決めている。 あれはきっと、キツネの声だ。そう思い時始めたら、キツネに違いないと心が勝手に決めてしまった。 夜の間、獲物を求めて動きまわっていたキツネが、夜明けとともに帰ってきて、巣穴の前で縄張り宣言して一声鳴いた? 遠くで甲高く鳴くビーグル犬の声に刺激されるのかもしれない、などと想像する。 確かにこのあたりにキツネはいるのだ。はっきり見たことはないが、連れ合いが薄明の時間に遠くを小走りに歩く動物の姿を見ている。それに雪の上に残る野生動物の足跡には、キツネと思われるものがある。イヌ科の足跡には共通の特徴があり、タヌキとキツネの区別は本に書かれているほどはっきり判定するのは難しいのだが、単独行動し、左右の足跡が一線上にそろっているのは、ほぼキツネに間違いないだろう。そういう足跡はタヌキのようにあちこちウロウロせず、ひたすら真っすぐに続いている。野生動物なのに、人が通る散策路を恐れる風もなく利用するのもキツネらしいと感じる。 この森は、砂丘に植林した森なので、斜面の藪をさがせば巣穴もあるのだろう。 時々訪れる、棚田の中の喫茶店(遊佐町)の主が、時々送ってくれる葉書には、彼が撮ったキツネの写真がプリントされている。早朝か夕暮れか、明るい棚田の農道を堂々と歩いている。 ぼくたちのキツネ?も、姿をあらわしてくれないかな?
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