友だち100人作らなくても……入学ハラスメントについて
先週と今週は入学式のシーズンです。地元のニュースでも、小学校の入学式の様子が報道されています。なにしろ地方の過疎化、少子高齢化は急速に進んでいて、子どもは文字通り「宝物」なのだと実感します。 しかし、気になることもいくつかあります。 たとえば子どもたちが着る「晴れ着」。おそらくレンタルなのでしょう、この日にしか着ないのですから。男の子はスーツ。女の子はアイドルのような服。地方によっては女の子は着物に袴が定番というところもあるそうで。それに目玉が飛び出そうな高価なランドセル。いくら宝物でも、行き過ぎじゃないのかなあ。 レポーターがマイクを差し出すと「友だちをたくさん作りたいです。」とスラスラと答える新入生。今の子は、食レポだってみごとにこなしてしまいます。マイクを向けると尻込みするのは親の方ですね。子どもはしっかり自分の意見らしいことを言える。でも、本当に自分の意見なのか?大人が聞きたい答えを忖度して答えているように見えて、痛々しく感じます。 校長先生は「楽しく勉強して、友だちをたくさん作ってください。」とお決まりの挨拶。
でもね、友だちって作るものなのかな?作らなければいけないものなのかな?それもたくさん? 人見知りな子や、人付き合いが得意ではない子が、それを人間的な欠点と思ってしまうことのほうが、友だちができないことよりも心配です。 ぼく自身、友だちは極端に少ないのですが、そのことを欠点とは感じていません。 左利きのぼくは、それを矯正することが教育だと信じる教師によって受けた屈辱のほうが心の傷として残っています。左利きって欠点なの?「左利きは不便だけど、不幸ではない」どこかで聞いたような気がしますが、友だちだって、いないと不便かもしれないし、めんどくさい。でも悩んだり困ったりしたとき、話を聞いてくれる相手は、いてよかったと思える、それが友だちさ、くらいでいいのではないでしょうか? とりあえず「教室で共に学ぶ仲間は友だちだよ」と伝えれば、それでいいのではないかなあ。
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