馬肉食について
同じ趣旨のことをすでに書いたかもしれないのですが、年のせいで記憶が定かでないので、そして少数意見かもしれないことは言っておくべきだと思うので、よろしくお願いします。
……唐突ですが「名物は犬肉料理」という国や地域に観光に行きたいですか? 犬を散歩させているはずが、寒がるからとか、歩きたがらないとかの理由で、バギーに乗せたりだっこしたりして散歩したり、かわいい服を着せると犬が喜ぶと思ってとっかえひっかえ新しい服を買ったり作ったりする自称「愛犬家」でなくとも、犬を食べるなんてなんと野蛮な風習だと思うのではないでしょうか。 現実に犬肉食の文化がある国では、あまり宣伝しないよう、外国人観光客の目につかないよう、できればその風習がなくなるよう努めているようです。
では鯨は? 鯨は、ぼくも含めてかつて庶民的な食材でしたが、今や鯨を日常的に食べる人は、もはやこの国にはあまりいなくなりました。それでも外国などから批判されたり、捕鯨が抗議を受けたりすると一部の人の「愛国心」が刺激されるらしい。しかしここは冷静に考えたい問題です。
馬肉はどうでしょう? たとえばぼくは乗馬が趣味です。趣味というより、生後半年いた田舎の生家の居間は、土間をはさんだ向こうに馬がいたし、その田舎は今でも「野馬追い」という祭りがあり、原発事故があった2011年にも、その祭りを復活させることを再優先したほど、馬を愛する土地です。そのDNAをぼくも受け継いでいるらしいとぼくは信じています。ですから、旅行先の旅館などで馬刺しが出るととても困ります。困るけれど、せっかくだしここで抗議や批判のスピーチをしても場違いなので、ありがたくいただいてはいます。 でも長井市(山形県)や熊本市など、馬肉食を声高に喧伝されると、つい反感を覚えてしまいます。先年の午の年の年頭、当時の長井市長が「今年は午年だから、みなさんにどしどし馬肉を食べてもらいたい」と言ったのはとてもショッキングなできことでした。そういう人がいること、そして決して少数派ではないことを知ってほしいと思うのです。 若いころ乗馬や馬の世話などを教えられたYさんというぼくの師匠は、馬肉の混入が疑われるソーセージなどを決して口にしませんでした。昔、競馬のジョッキーだった彼はレース中に転倒し、馬は殺処分になったのだそうです。日本では殺処分の馬は食肉工場に運ばれます。責任感から最後まで付き添った彼は、その後ジョッキーをやめたそうです。 犬も馬も、昔は人間の道具として使役されたわけですが、今では伴侶動物と考えられています。犬と人との間には特別な絆があり、奏法に愛情ホルモンといわれるオキシトシンが分泌されることがわかってきましたが、馬にも同じことが起きるのではないでしょうか。馬が身近だった時代を思い起こすと、そのころは犬以上に大切な存在だったのですから。 馬がいなければ人類の歴史は今とは違うものになっていたはずだというのはぼくの持論です。その馬の現代の存在理由がギャンブルと食糧では、あまりに馬という生き物に対して失礼だと思うのです。 それに、犬を食べる文化への私たちの反感と同じものを、外国からの観光客が日本の馬肉食に感じるだろうことは明らかです。
PS.日本の馬肉食の起源は豊富秀吉の朝鮮侵攻だという説があります。食糧難に陥った日本側が馬を殺して食べたことが起源なのだと。恥ずべき歴史にルーツがあるならば、なおのこと一考を要することだと思うのですが。
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