やぶしたのよんちゃん(次男坊からすの恩返し その4)
やぶしたのよんちゃん(次男坊からすの恩返し その4)
私の母は昭和2年生まれ、昨日で満92歳、立て板に水のごとき多弁な人ではありません。どちらかというと言葉数の少ない母です。母は8人兄弟の6番目です。 一方私の父(故人・大正12年生まれ享年66歳)は7人兄弟の6番目。
今回は先週母から聴き取った話をまとめてみます。 母の思い出話から察するに、私は母の父(私にとっては祖父)に抱かれたことはあったようですが赤ちゃんだった当時の私に記憶としてくっきりと残っているようなエピソードはありません。 母の思い出話には圧倒的に父(祖父)の残像がたびたび出てきます。 母の母(私にとっては祖母)の思い出はほとんど語られません。 私の母は『父親っ子』だったのかもしれません。 女親(祖母)は女親で家計のやりくりやら何やかやで裏方のすべてを一手に引き受け 子育ての前面に出て来られるような暇がなかったのかもしれません。
私の母は6番目の子どもであったわけですから、父(祖父)にしてみれば子どもたちに対しても既に子育ての経験智の豊かな父親の接し方をしていたのだろうと思います。 太平洋戦争勃発前のテレビなんかない時代です。 よく囲炉裏端に子どもたちが4~6人並んで座っちゃあ、祖父からいろいろな話を面白おかしく聴くというのが当時の毎夜の楽しみだったようです。 祖父からは『子供は叱るもんじゃあない。よおく言って聞かせて諭すもんだ』という哲学が口癖のように何度も語られていたようです。この育児姿勢は私の母にも受け継がれ基本的な子育てのポリシーの骨格をなしていて私もそのように育てられたと思います。 この口癖「子供は叱るものじゃあない。よおく言って聞かせて諭すもんだ」は私の母の育児姿勢に土着的な感覚として継承されていたと思います。
介護のバイトの勤務が休みの毎週水木の二日間(実質的には火曜日の夜から木曜日の昼過ぎまで)、私は実家に帰って母の話に耳を傾けます。いわゆる傾聴のようなひと時です。 「傾聴」とは、カウンセリングやコーチングにおけるコミュニケーションスキルの一つです。母の話をただ聞くのではなく、注意を払って、より深く、丁寧に耳を傾けること。 自分の訊きたいことのみを優先して訊くのではなく、母が話したい話題を誘い出し・拾い出し、母が伝えたいことを、受容的・共感的な態度で真摯に“聴く”ひとときです。 何しろ朴訥の語り手の母ですから聴き取るのにはえらく暇がかかります。 聴きながら頭の中では話の断片の編集を試みることで、母の人生の丸ごと理解を深めると同時に、祖父から母に、母から、私に伝承されてきているであろう『子育て哲学のDNAの実態』を掴み取ろうとスリリングに傾聴しています。
さて「やぶしたのよんちゃん」のおはなしです『よんちゃん』とは『米蔵』さんの愛称。 私の祖父が近所の人々からこのような愛称で呼ばれていたようです。 何より興味深いのはこの話を私(65歳)は母(92歳)から初めて聴き取ったおはなしなのです。 祖父は人の話をじっくりと聴き留める能力にたけた人だったようです。 いろいろ困りごとやら心配事や相談事などあるたびに村人が訪ねてきたようです。 それだけ人望も厚かったのでしょう。 祖父の家の近所に子どものいない一組の夫婦があり、頻繁に夫婦喧嘩をしたそうです。 その夫婦は喧嘩になると 「どっちのほうが悪いか、いっぺんやぶしたのよんちゃんの家に行って聞いてもらうべえ」と出かけてきたそうです。祖父は是々非々で対応していたようです。
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