夏休みの宿題は親がやるってどう?
「夏休みの宿題で、親はどこまで手伝うべきか」なんていうことを、ラジオで話題にしている。たぶん冗談なんだろうがやめてほしい。教員にとっては心臓に悪い話題だ。 以前、卒業生の母親に会ったとき、書初めを親が書いたことがばれて、娘がきつく叱られたことがあり、今でも傷ついている、そこまできつく言わなくてもと、私も先生を恨んでいますよ、と言われた。ぼくが若い時のことらしく、記憶がないのだが、そんなことがあったのだろう。そして恨んでいるというのは冗談交じりでも、ホンネにちがいない。 ラジオでも、親が手伝うことは望ましくはないが、さほどのことではないという感じでとらえているらしいニュアンス。 あのね、宿題も評価の大事な資料なわけですよ。それに今行われている「絶対評価」という、あのいかがわしいやりかたでは、宿題は「それを提出したか否か」が、学習への興味・関心・意欲という評価につながるわけ。そして評価は受験の重要な資料になるのだから、不正入試とおなじほどの意味を持つのです。 家庭が責任を持って教えてほしいことは、社会のルール。そこは学校任せにしたうえで、家庭では平気でルール破りをするって、罪が重いと思うのだけど。若気のいたりで厳しすぎたかもしれないけど、「恨みます」はないよなあ。ショックだった。
夏休み明けに宿題の評価をするのは、教員にとっては苦痛なものだけれど、国語の教員として「読書感想文」を読むのは楽しみだった。文章もそうだが、どんな本と出合ったのかも知りたいし。 そして、必ず面白い作品に出合う。特に、不登校になってしまって顔を見せない子が、素晴らしい感想文を書いてくることもあって、それがコンクールで賞を取ったりすると、本当に嬉しくなる。表彰式にその子を「引率」して、電車でおしゃべりをするのは、本人にとってもぼくにとっても楽しいひとときだったりしたものだ。 しかし昨今、ネットには作文の例文などが出回り、いけしゃあしゃあとコピーしてくるやつが後を絶たないのだ。少しは自分流にアレンジすればまだよいものを、もとから作文が苦手な子は丸写しだから不自然さが目立ち、すぐにばれるのに。(授業でこまめに小作文を書かせていれば、文体や発想の特徴はわかるものです。) ところで、さくらももこが亡くなって、彼女がそんなにも高い評価を受けていたのかと驚いている。というのも、1年生の時すばらしい感想文を書いた子が、2年生になって冷笑的なだけで底の浅い作文を書いてきた。読んだ本はさくらももこのエッセー集。影響を受けて本人の文章が、さくらももこの文章にそっくりになってしまったのだ。ちびまる子はおもしろいけれど、あんな子が現実に身近にいたらどう? それと同じで、あんな文章を書く子どもが身近にいたら、不気味だと思いませんか?
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