薮下のよんちゃんの孫(祖父の戸籍を訊ねて南へ北へ)
薮下のよんちゃんの孫(祖父の戸籍を訊ねて南へ北へ)
母は2019年8月11日9時20分自宅のベッドで永眠いたしました。
92歳1か月の生涯でした。
49日法要の前までに祖父岩本米蔵のことを調べてみようと行動を起こしました。
なぜなら母は父親っ子でお父さん(祖父)が大好きだった少女です。
母の言葉を借りれば「薮下のよんちゃん」と近所の人から慕われていた人柄です。
「私の祖父のことを調べています」母の出生地のI市役所の戸籍係を訪ねました。
その為には『母の戸籍の写しが必要』ですと係の人からいわれ、
せっかくバスを乗り継いでここまで来たけれど一路南へ。
止む無く隣りのH市役所の戸籍係を訪ねました。
『本籍地は何番ですか?』と問われたものの定かにはわかりません。
私自身でさえ来週には66歳になります。ちょっと昔のことは辿りきれません。
記憶の断片を頼りに半ばあてずっぽうに申請書を書きました。
ここがスムーズにいかず係の人も検索しきれぬと見えて とても長い時間待たされました。
因みに母は先月8月11日に他界していますし、父は39年に鬼籍に入っています。
ようやく母の戸籍をプリントアウトしてもらい、時間が押しているので
H市役所からI市役所まではタクシーを飛ばし一路北へと戻ります。
なんとしても今日中に祖父の戸籍を手に入れたいのです。
役所の閉館時間ギリギリに入手できました。
1956年(昭和31年)3月17日祖父は78歳10か月の生涯を閉じています。
ばぶが生後2歳6カ月の時でしたから 私に祖父の記憶がないのは致し方ないでしょう。
祖父は曾祖父初太郎の3男として
1877年(明治10年) 4人兄妹の3番目として生まれています。(曾祖父43歳の年。)
因みに曾祖父初太郎は1834年(天保6年)3月生まれ。
1891年(明治24年)10月8日、祖父が14歳の年に弥八氏の養子となりました。
この当時は跡取りとの関係で養子・養父縁組の関係も多かったそうです。
1914年(大正3年) 37歳の祖父は14歳年下の祖母と結婚しています。
祖父にしてみれば晩婚だったろうと思います。
祖母と14歳離れていたわけですから夫婦喧嘩もめったになかっただろうなぁと 思います。
私の母チヨさんは1927年(昭和2年)祖父50歳祖母36歳の時に、
9人兄弟の6番目に5女として生まれています。
私の母は23歳で結婚していますから、 その時祖父は73歳、祖母は59歳だったのですね。
年代を頼りに、自分自身の年齢も重ね合わせ想像力で、 祖父や母の人生や暮らしに思いは馳せていきます。
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