大停電について思ったこと
スウェーデンの一人の少女の、「地球温暖化に対して今すぐ行動を」という訴えが、世界を動かすのか。その少女、グレタ・トゥーンベリさん自身がニューヨークに行って国連で訴えているとか、各地の高校生がデモを行ったと伝えられています。 少女といえば、パキスタンのマララ・ユスフザイさんも、自身が銃撃で重傷を負ったのに「銃でなく、子どもたちに本とペンを」と訴えています。 私の知るある少女(当時)も、アルミ缶のプルタブを集めると車椅子ととりかえてくれる会社があると聞いて、独りでプルタブ集めを始めました。彼女の場合、誰にも告げずに一人で黙々と集めていたので、数人の親友以外は知らなかったのですが、家庭訪問するとベランダに大きな袋が数個置いてあって「こんなもの、どうするつもりなのか」と祖母が嘆いていました。(あのプルタブ、その後どうなったのだろう?) 少女たちの勇気と大胆さを、男の子も、大人も見習うべきなのかもしれませんね。
昨今の自然災害の規模が急激に大きくなって、子どもたちでなくても脅威を感じます。台風15号の被害について、政府や行政の初動が遅れたのは、たぶん、停電の甘く見てしまったのでしょう。「停電くらい電力会社がわけなく復旧させるはず」くらいの認識で、実は停電のために、家屋の倒壊や道路の寸断、地域の孤立、けがなどについての情報が途絶えていたことに気がつかなかったのでしょう、おそらく。
我が家では、横浜に住んでいたころから、石油ストーブを使っています。電気製品ではなく、電池で着火するだけです。 昔(80年代ごろ?)、3月に湘南地方に大被害をもたらした大雪が降り、送電線の鉄塔が倒壊し、大停電になりました。横浜では停電はしなかったのですが、たまたま箱根に職員旅行に行っていて、交通信号が消えている中を乗り合わせた車で命からがら深夜帰宅しました。その停電では、湘南地方で数日間水道が止まり、トイレも使えなくなったと報道されました。 電気と水が止まっても困らないようにということで、我が家でストーブを備えたのはそれからです。しかしこれは使い続けないと劣化してしまうので、冬になると巡回サービスの灯油を買って、使い続けています。 この期に及んで「うちはオール電化」などと自慢する人を見ると、「お気の毒に」と思ってしまいます。オール電化では生き延びられないかもしれません。 東日本大震災では、酒田でも1昼夜停電しましたが、例の石油ストーブが役に立ちました。あれ以後、ご飯も鍋で炊くようになり、炊飯器を使わなくなりました。ガスは都市ガスでなくプロパンでしたが、ボンベが倒れることもなくガスを使うことができたのです。
ところで、10月からの消費税値上げを、政府は「キャッシュレス化へのきっかけ」と考えているように見えます。NHKは、豪雨や台風のたびに「防災アプリ」を宣伝します。 しかし、大規模停電では、情報網の寸断も起こるのだということがはっきりしました。電話もメールもSNSも使えない。キャッシュカードも使えない。そもそも、私たち年寄りはスマホなんか使えないのです。使いたくもないのです。使う必要を感じないのです。 いなかの店では、レジでちょっとした会話をしたいのです。後ろに人が並ぶこともあまりないし。 椅子やテーブルがあって、客をお茶でもてなす店もあります。そうでなくても現金をやりとりしながら、おしゃべりを楽しむ、それが田舎町の暮らし方というものです。
政府の姿が見えないのは、こうした不都合な真実に直面したくないから?
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