2019年(令和元年)立夏より 立 夏
立夏ことのほか寒し かぜ冷へて雛芥子ふるふ夏立つ日
「夏愁ひ」二十八年ぶりの寒波、菅平・野辺山等氷点下五度 肌を刺す夏日が下の朔風の呪縛をほぐす術(すべ)のなからむ
朔風=さくふう、北風。結婚五十四周年に想ふ・皐月八日
そねっと「五十四歳(いそよとせ)」
妻が手摘みしつくしんぼ
手渡さるれば手の温み
温みの裡(ぬち)は妻が氣の
言の葉超へし語りぐさ
寄り添ひあいて五十四(いそよ)とせ
嗚呼現在(いま)想ひなみだぐむ
去年(こぞ)の道志川(だうし)の春のこと
ソネット=十四行の、ヨーロッパにおける抒情詩。伊ルネッサンス期に興り、独・仏・英に広まる。
ダンテ、ペトラルカ、ロンサール、シェークスピア等。近代ではリルケ、シェリー。小生はリルケで知った。
道志川=相模川の一支流、津久井湖(1955年完成)に注ぐ。古くは津久井(相模)と郡内(甲斐)の間道。
去年(こぞ)の春、道志川遡行ドライブで富士・山中湖へ。
わが妻の握りしめたツクシンボに残る妻が掌の温味に想うもの数多…。神田駿河台へ昇る「をみな坂」 季節(とき)を映す 駿河台へとをみな坂
をみな坂 きざはしの石が閒(はざま)にも
苛酷に耐へし野の草の容(かた)
八十二段(やそにだん) 昇るきざはしの辛けれど
段石(いし)の隙間に野花咲くなり
野の草花=爪草、酢漿草、薺、オランダ耳菜草…健気に季(とき)を飾るさまに安堵。上州鮎川に採取せし「赤花」わが坪庭に咲く 吾が庭のあかばな開き鮎川の
瀨韻かかぜか ささやきの聲
はるの花 朽ちて素早し夏嫩芽(なつわかめ)
初夏(なつ)の芽を剪(き)るに懺悔(さんげ)のここちあり
懺悔=「懺悔」ここでは「さんげ」と。 剪定に 懺悔いくばくぞ 負ひし罪
嫩枝(わかえ)剪る 懺悔いくばくぞ熾炎(しえん)がもと
月は望 立夏三候の宵寂寂
立夏三候=五月一八日前後頃。 青山に若き生命(せい)あり 栗花(くり)にほふ
栗花(くり)にほふ=栗・欅・榎などの匂いは似た生命を観、またこの季のアレルゲンの一つ。 上野山 賑はふ苑が大道芸人(げいにん)の
聲たからかに風かをりたり
小 満
甲州勝沼扇状地に遊ぶ 五月二十、二十一日 樫嫩葉(かしわかば) 彩(いろどり)凜と瓦斯のなか
そねっと「勝沼扇状地」
きたがた果ての茫洋と
多多那豆久(たたなづく)やま奥秩父
われ若き日に踏む山巓
国師 千丈 金峯山
絵筆を執りてながむれば
あまた彩なす彩色板
想ひ馳すれば空を舞ひ
はるか過ぎ来し四十余年(よそよとせ)
嗚呼われ何すべくこしものぞ
星霜重く速きゆへ
八十二年(やそふたとせ)も須臾の閒に
妻と歩みし五十四年(いそよとせ)
ここぞ若さの憧憬に
目覚め繋がむ先のゆめ
信濃追分初夏(なつ) 追分の かぜ伸びやかに小梨降る
半月低し その暗赤色(あか)あまり重き故
淺緑翩翻 あかしや橋に花いまだ
椋の晝 白詰草にかぜの条(すぢ)
無季語俳句如何 あかしや橋=信濃追分駅南下の発地川に架かる橋、あかしやの群生地なので我々のみでの命名。 「老 樹」
樹によれば 樹の花にほふ
樹を剪れば 樹のにほひ起つ
刻いまだ 流れを識(し)らず
人の世の 流れ速やか
如何な日か 得しものもなく
ひたすらに 苔のむすまま
死に至る やまひも無くて
風のごと 消へ去るものか
歳ふる樹木に、聴風いたく感情移入余儀なし。 芒 種
紫陽花 己碧を識らず 紫陽花識らず 御身に秘める霄(そら)の彩
ついりはな 己は知らず昊(そら)のあを
ついりはな 紫陽花に観る空のあを
麦秋はつゆに濡れつつ彩ふかむ
春蝉の 聲絶へ間なし初夏(なつ)林道
鼠黐 あめに花穂は乱れ咲き
虚空廣場梅雨晴れ間 虚空(おほぞら)は積雲をもて果てしなく
白詰草の曠原のうへ
白詰草=ホワイトクローバー、昔、おらんだより輸入のガラス器パッキング。故に「詰草」。 別に赤詰草もある。 風立たば 鼠黐の花穂(ほ)定まらず
梅雨さむし 猫の温みをうらやみぬ
暮れ泥(なづ)む ものぐるほしや麥のあき
紫陽花や 雲の重さをもちこたへ
樹の花や重さに耐へね夏至のあめ
暮れ泥(なづ)む白雨を染めてうす茜
乃木坂に ひとはだ恋し梅雨の宵
そねっと 「夏の夢ひととき」
梅雨晴れ閒 木樹の花さく
待つ夏の ひかり漂ひ
積雲の 碧空(そら)の果てまで
緑陰に 夏風の立ち
春蝉の 聲止まざりき
開き初む 花魁草(おいらんさう)に
蝶の舞ひ 幻惑のむね
如何ばかり ひとときの夢
夢まどふ まぼろしのなか
いつか視し 野鳥の飛翔
高原(たかはら)を 吹き抜くかぜと
灼熱の ひかりのあはひ
遠山の むらさきだちて
独り佇つ 白光のした
まき昇る 野老(ところ)の蔓や梅雨晴れ閒
野老(ところ)=山芋に似た蔓植物。 山野に多い。安房太海・仁右衛門島すけっち行、全日画連 みたび視つ仁右衛門島の黝き潮
黴(ばい)雨(う)前線 後にひかへて
燈台が聚落を統べ 夏来たる
蜘蛛の子に似たる容や波太邨(なふとむら)
波太邨(なふとむら)=太海の古名、邨は村の意。 おみな燃ゆ 絵に籠められし夏の夢
白浪の迫る梅雨霄(つゆぞら) 限りなし
おみな等の 交わす言の葉白浪の
怒濤のごとく果つるを知らず
湿度澎湃 聚落を吞む仁右衛門島(しま)が海霧(ぢり)
安房の海 磯辺のかぜにつつまらば
想ひはるかに牧水が歌
海霧(ぢり)せまる 湿気飽和す指の先
海霧=寄せる濃い海の霧。 若山牧水、恋人と安房つ浜での絶唱「ああ接吻(くちづけ)海そのままに陽はゆかず 禽(とり)翔(ま)ひながら死(う)せはてよいま」 指先までも湿気で濡れてしまう猛烈な湿度。 ゆふあかね=夕茜。かそけき入り日の残照。 ○ ○ ○
梅雨霄(そら)を かすかに透かすゆふあかね
小 暑
焯光(しゃっくわう)何処へか山背に萎へる小暑の日
焯光=燃える夏日。 山背=寒冷な北東風 茴 香(ういきょう)の天衝(そらつ)く集花(はな)やあめ閃(ひか)る
茴香=フェンネル。大形芹科のハーブ。 いつか聴きし 野鵐(のぢこ)が恋歌 淺間径(あさまみち)
野鵐(のぢこ)=すずめ科、美声で囀る。自画像表現実習課題 しら衣(ぎぬ)にすずろ刻める襞視れば
谿より泛(うか)ぶ我像のあはれ
日輪に ひさびさの貌 夏返る
神田駿河台下「女 坂(をみなざか)」・十時二十分 女坂(をみなざか) 夏日照りたり石(いしは)狭(ざ)間(ま)に
つくねんとして酢漿草(かたばみ)の佇つ
つくねんと=独りなすこともなくボーとするさま。 追分に夏来にけらし 積雲の
茜はつかに夕風ぞ立つ
捩摺(もぢずり)の ひとつふたつと梅雨晴れ間
そそと咲く捩摺草(もぢずりさう)におもふひと
刈り芝を燃してけぶりの定まらず
全身の生き肌に受く雨三更
濡れて乾坤 充つる刻あり
雨三更=夜半零時前後の雨。乾坤=天と地。 文月二十一日蛁蟟蝉(みんみんぜみ)初音聴けど 蟪蛄(にいにい)も蜩(ひぐらし)もいまだ夢のうち
例年は蟪蛄(にいにい)か蜩(ひぐらし)がトップを切る。銀笛風韻 南風(まぜ)頻り 笛捥(もぎ)られて老牧神(ぱん)かなし
牧神=希臘神話・アルカディアのパン。笛をもぎ取られ狂気に、パニックの語源。 銀(しろがね)の 韻たかだかと張りつめし
吾(あ)のあるかでぃあ 何処へか消ゆ
銀(しろがね)=フルート。 アルカディア=希臘中央部の高原地帯で牧歌的理想郷・楽園とされた。 夏風の韻に笛の音重ぬれば
その幻聴の熄(や)まざるを祈る
生き肌や夏かぜ刻む老いの襞
大 暑
愛撫かなし生ま肌に添ふ夏の風
文月末五日、遅きつ明けらし つ明け空 その碧いよよ深まりぬ
夏空の碧はあまたの夢を載せ
昊(そら)のあをに 熱煌煌と絲を曳き
「夏煌煌・雲光風血」
碧空在積雲 碧空に積雲在り
彙葉有陽光 照葉は陽光に充ち
我裡在潜風 風潜むわが想い
吾欲顕熱血 熱き血を顕さむと欲す
高原雷公 雷公近し雲間に潜む夕茜
高原の熄(い)り陽の頃は全天が
今日の懺悔のうすあかねいろ
萱草(わすれぐさ)その朱(あけ)勁(つよ)きいろなりき
何を忘れることのありなむ
全天は茜色にして熄(い)り陽止む
愛欲のごとき入り日の赫(あか)燃へる
全天あかね 妻が肩へも茜さし
高原(たかはら)暮るる大入り陽どき
笛の音の あひまに聴こゆ遠音あり
南風(まぜ)のはこべる夏のはなやぎ
雷光を水平にうけ風きよむ
裂雨きたり 草木葦(よし)簀(ず)のごとに擲(う)ち
萱草(わすれぐさ) はかなき花よ ひと日ごと
次の花へと生命(いのち)を託す
秋立たばわびしさにほふ宵の風
立 秋
白樺の葉擦れの韻に秋かなし
残暑なれど風にひそめしあきうれひ
知らぬ間に陽光(ひかり)にもあり秋のいろ
浅間山、立秋の夜に小噴火 久々に小さき噴火の火の山は
白髪(はくはつ)の容(かた)やや多かりき
白鳥座にささぐ 一句二首 佇まむ しらとりの下に愁ひもて
白鳥座の頭の星は、苔を水に溶かしたと言われ、碧みがかった美しい星。
黝(あをぐろ)き三更の霄(そら)をつかさどる
白鳥(しらとり)のかた微動もあらず
葉月三更 乾坤澄みてしらとりは
しつかに泛(うか)びなにをか想ふ
三更=深夜零時前後。 淺間嶺に吹き抜く風の をみな径
紅花豆に深まる瞑(おも)ひ
をみな径=姫街道。中山道の裏道で地蔵原を和美峠へと走っている。 かぜ亘(わた)る地蔵が原の石(いし)佛(ほとけ)に
積雲のかげ 奔(はし)り去る見よ
地蔵が原=淺間南麓の乾性化しつつある高層湿原。現・「発地(ほつち)」地区。 淺間嶺は紅花豆のはなかげに
見へつ隠れつ今日の夕焼け
聴風庵 夏の象徴 たかはらの月望(もち)にして朧なる
葉月十五の追分の庵(いほ)
哀しみのひかり茜に盆の暮れ
高原(たかはら)に野分の兆し 碧空は
乱れて奔(はし)る雲の疾疾(たうたう)
白樺の葉擦れの韻のさらさらと
追分け原が夏のひととき
碧空と泛(うか)ぶ積雲小梨の樹
白樺の晝 夏ぞ追分
わが庵(いほ)は追分の宿(しゆく)しかぞ栖む
予をば ぢいぢ と孫の言ふなり
パロディ=わが庵は都の巽しかぞ棲む予を宇治山とひとの言うなり(喜撰法師) 處 暑
雨冥(くら)し 追分に涼あらたなる
新涼のあめに打たらばこころ寂(さび)
雨音と風のわびしさ葉月盡
はや霖雨 巫山(ふざん)の雨と想ひきや
巫山(ふざん)の雨=ある婦人との過去の情交の夢。古代の故事。信濃追分旧道 三句二首 ひと絶へて秋夜寂寂奮き径
何となくひとの気配のうすれゆき
たかはらの風 余韻嫋(じよう)々(じよう)
西風の齎(もたら)す季(とき)の潰(つ)へどころ
西風よ何故に寂寞はこび来し
いまだ残れる夏日が下に
刻(とき)三更 瓦斯寂然とうごかざる
三更=深夜零時前後。高原の高積雲二句 風聴きつ 高積雲が下 吾独り
吾(あ)にのみぞ高積雲が語りしを
やすらはで季(とき)の終滅 葉月盡
過ぎたる夏追情二句 碧空に泛(うか)ぶ積雲夏惜しむ
西風を聴きて愛惜 季遷(ときうつ)る
白 露
そねっと 「惜夏の想」
過ぎし夏のこころを
わが身にとどめる 現在(いま)
夏風 霄(そら)のあを 高積雲
力失せた残りの陽 そして
何處(いづく)ともない 遠音のこんてぃぬお
それらを飾る笛の音
吾が青春のまりあんぬ
逝(い)にし日々よ
寡薄をなげきて
思いいたらざる
秋陰の漂泛(ひようはん)ひとり識(し)る
溟海の蜃気楼
嗚呼 失はれた日々よ 刻いまだ
惜夏の想ひはるか 夏の死よ
コンティヌオ=バッソコンティヌオ、通奏低音、楽曲の形式で和音の基礎になる底音部のメロディー。 吾が青春のまりあんぬ=六十有余年も前の映画、愛のリリック(抒情詩)で小生の青春を象徴。 溟海=大海原。冥界ではない。信濃追分・聴風庵の月 四句 五日月 樺の梢のとどかざる
片雲に現在(いま)隠れむと薄き月
茜雲に泛む月あり西風(にし)立ちぬ
月天心 小梨のこずゑゆるぎなし
小梨=桷(ずみ)とも。夏名残二句 何となく街路樹に在り夏名残
新宿三丁目 をみなの肩に夏残る
望の月 矢立を何と問ふをみな
矢立=筆と墨壺をセットにした携帯用筆記具。 晩酌に宵風沁みる新豆腐
白露蒼穹二句 秋霖を 抜けて蒼穹果てもなし
もの想ふ 白露蒼穹 その果てに