早稲田大学春秋会だより・第126号 令和元年12月11日
早稲田大学春秋会2020年新春の集いご案内
時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。平素は春秋会の活動にご協力頂きまして厚く御礼申し上げます。下記の通り2020年新春の集いを開催致しますのでご通知致します。 皆様のご参加をお待ち申し上げます。
日 時 : 令和2年1月26日(日)午後3時より(受付 午後2時30分) 場 所 : 大隈会館1階「楠亭」懇親会は同会場にて午後4時半開始 演 題 : 「トランプ外交と国際情勢」 講 師 : 渡部恒雄氏 笹川平和財団 安全保障研究グループ上席研究員 会 費 : 5,000円
【講師略歴】渡部恒雄(わたなべ つねお) 1963年(昭和38年)11月13日、早稲田大学春秋会 渡部恒三現名誉会長の長男として生まれる。1988年(昭和63年)東北大学歯学部を卒業。歯科医師となるが、社会科学を学ぶため米国へ留学。1995年(平成7年)NYニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ政治学修士課程修了後、戦略国際問題研究所に入所し2003年(平成15年)3月同研究所上級研究員に就任。2005年(平成17年)日本に帰国。三井物産戦略研究所主任研究員等を経て今日に至っている。 テレ朝サンデープロジェクト・朝まで生テレビを始めNHK・TBS・FUJITVに生又はビデオコメンテーターとして出演してマスコミでは知られている。~ウイキペディア~より引用
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ また、当日は2020年新春の集いに先立ち、14時より「紺碧の空」歌碑に献歌を行います。お時間のご都合のつく方は大隈会館前「紺碧の空」歌碑前にお集まり下さい。なお、2020年新春の集い出欠については同封の返信ハガキにて開催10日前の令和2年1月16日(木)までに投函のほどお願いいたします。お問い合わせは春秋会事務局まで。 事務局:TEL・03-6906-8093 :FAX・03-6906-8094 :メールoishi-kaikei@voice.ocn.ne.jp
~秋の墓参会報告~~
2019年10月5日(土)、今年の夏は異常なまでの猛暑が長期間に亘り日本列島を覆い続けてきた。9月になっても夏日が続き、月末になって漸く秋の気配を感じていたが、本日は早朝から雲一つ無い快晴、気温は真夏日の30度を超える予報が出ていた。午前10時半、照りつける陽光を全身に浴びて、半袖姿でも汗をかきつつ、護国寺の山門に三々五々と集まる8名、秋の墓参会の始まりである。先ずは本堂東側の奥、大隈重信侯の墓所、老侯を真ん中に両脇の三井子御母堂、綾子夫人の墓前を各々掃き清め、水をやり、榊を供える。 一同心を静めて二礼二拍手一礼。続いて、老侯の建学の精神に思いを馳せ、大石事務局長指揮の下、皆で高らかに早稲田大学校歌を斉唱した。今回気がついたことではあるが、老侯の墓所南側に隣接する2ヶ所の墓所を拝見、一つ目は田中光顕の墓所、その隣りに山縣家の墓所、これは山縣有朋家と思われるがその表示は見当たらない。田中光顕は土佐藩出身、明治維新で高杉晋作らと組み大活躍、維新後も政界の要職を次々と務め、長老として長らく政界に君臨した人物である。次に本堂北側の最奥に位置する山縣有朋公爵の墓所を訪ねた。これは前述した老侯に隣接する山縣家の墓所とは比べものにならない程広い敷地、中に入ると、入口に大鳥居、敷地の奥に巨大な墓石が二基、この墓碑は山縣有朋とその夫人であり、これら以外には一切何も無い極めて簡素な墓所であり、様々な燈籠や近親者の墓石群、追悼文を刻んだ石碑などに囲まれた我が老侯の墓所とは対照的であった。護国寺を後にし、次の目的地である雑司が谷霊園へ向かったのは11時半を過ぎており、約1Kmの道のりを歩いて雑司が谷駅に着き、駅前の蕎麦屋(甲州屋)で昼食休憩をとる。真夏日の炎天下を歩いて来た面々、渇き切った喉を潤すビールに満面の笑顔が並んだことは言うまでもない。 都電の雑司ヶ谷停留所前で途中参加の諸江幹事長が合流し、昼食を蕎麦屋「甲州屋」で済ませ、午後1時頃店を出て午後の部へ。まずは校歌の作詞をした東儀鐡笛先生を墓参、続いて紺碧の空作詞の住 治男先生、早稲田野球部の父安部磯雄先生を墓参。本日の予定はここまでであったが、初参加の方もいたため雑司ヶ谷霊園内を散策、初代理工学部長の山本忠興氏ほか、夏目漱石、小泉八雲、東条英機など数か所をたずねた。雑司ヶ谷停留所にもどり都電で早稲田へ。大学の総務課に大隈先生墓所のカギを返却して本日の墓参会は終了。その後、大隈講堂近くの「イルデパン」でおつかれさま会をし5時過ぎに解散した。 【参加者】(敬称略あ順)大石和礼、片岡冬里(午前)、小太刀昌雄(午前)、 正呂地憲治(午前)、高原孝、馬場正彦、守屋孝(午前)、諸江昭雄(午後)、山口光朗 以上 9名 (午前の部・片岡冬里記。午後の部・大石和礼記)
~第125回秋季大会報告~
2019年11月4日、前日が「文化の日」で日曜日、勤め人にとっては貴重な振替休日である。当日は朝から雲一つない清々しい快晴、昨夜の雨にたっぷりと水分を浴びた木々の緑は、強い陽光を目一杯受け止めて、キラキラと耀いている。世話役、役員、他会員有志が早くから早稲田の杜、大木の緑に囲まれた「紺碧の空」石碑前に三々五々と集まり、午後2時、全員碑前に向かって二礼、二拍手、一礼の後、この伝統ある応援歌を石田副幹事長のリードで元気よく斉唱した。愈々再来年の2021年には、春秋会創立70周年となる。一同は会場の大隈会館「楠亭」へ向かい、同会場にて受付、配布資料や名札等の準備をしつつ、一般会員の参加手続きを順次進め、午後3時、第125回秋季大会は定刻通りに開始された。今回は第一部『講演会』、第二部『懇親会』の二部構成であるが、前回と同様、共に同一会場にて行い当会の会員を主体とした近しい間柄での和やかな会を目論んだ。当日の参加者は会員及び若干の関係者を含めて約50名、用意した会場はほぼ満席に近い盛況であった。以下、順を追ってそれらの概要を記す。 1. 『講演会』司会: 青葉ひかる副会長 時刻: 15:00~16:10 (1) 会長挨拶(海老沢勝二) 伝統ある春秋会の第125回秋季大会に因みご自身の所感につきお話をされたので、以下に要点を記す。秋らしい爽やかな好天気に恵まれ、会員及び関係者50名が集まった。本日は、皆さんと一緒に「沖縄の問題」を勉強したい。つい先月には、台風19号による激甚災害により被災地全域にて70人もの死者が出た。また、同31日には沖縄のシンボルである首里城が火災にて全焼してしまった。私自身、沖縄には何回も足を運び、先の大戦にて焼失した首里城の復原過程を観てきたが、再建から僅か27年でまた焼失してしまった。沖縄にとって平和とは何か?皆さんと一緒に考えたい。折しも、ラグビーワールド大会が1.5ヵ月に亘って日本各地で開催され、ラグビーに対する関心が大いに深まった。戦いが終われば「ノーサイド」、勝者も敗者もお互いに手を取り合って相手を称える姿は実に印象的でる。愈々来年は東京オリンピック・パラリンピック、早稲田の後輩達が頑張って、早稲田の名を世界に知らしめて欲しい。今、世界を見詰めると、地球規模の自然災害、人為的汚染、気候変動など不安材料が絶えないが、沖縄の現状から世界の平和を考えてみたい。今日は春秋会の皆さんと共に、お互いの生活、人生がより安全となるよう祈念して私からの挨拶とする。 (2) 講演 【演題】沖縄保守宣言 【講師】國場幸之助代議士 【講師略歴】「月刊日本」中村友哉氏より紹介 ・沖縄県出身・1997年 早稲田大学社会科学部卒・2000年 沖縄県議会議員(保守系無所属) ・2012年 衆議院議員(自民党公認)・自民党宏池会(岸田派)・首里城復原に熱意 【講演概要】 以下、國場氏による講演の要点、所感、その他(谷中竜雄氏メモによる)を列記する。 〈要点〉 自身、学生時代は早稲田「雄弁会」に所属していた。早稲田と沖縄の縁について、先ずは大濱信泉第7代総長が石垣島出身であること。次に稲嶺一郎氏、彼は早稲田卒業後満鉄に就職、後に自民党の参院議員を務めた。学生時代から遺骨収集などで度々沖縄へ出かけていた小渕恵三元総理が、彼の下を訪れていたという。そしてこの縁が、2000年の沖縄サミット開催という形で結実していった、と言って良いだろう。候補地の中でも一番評価が低かった沖縄に決まったのは、当時の小渕総理の英断によるところである。この沖縄サミットは、沖縄の多くの人々に、大きな自信と誇りを与えた。 そして、一郎氏のご長男が稲嶺恵一元沖縄県知事であり、自身は一時、元知事の秘書を務めていたというご縁もある。沖縄に大きな自信と誇りを与えてくれたという点においては、1993年のNHK大河ドラマ「琉球の風」にも触れない訳にはゆかない。沖縄では、初回放送の視聴率が80%を超え、本作品は、本土との文化の違い等でなかなか自己肯定感を持てずにいた多くの沖縄県人に、自らの文化に対して誇りを持つ力強い後押しとなった。NHKエンタープライズの会長も務められた春秋会会長の海老沢さんとのご縁、これも間違いなく、自身にとって大きな支えになったと言える。つい先月の31日未明に起きた首里城焼失には、沖縄県人である自身を含め、多くの人々が心を痛めた。元来首里城は、政治や外交のみではなく祭祀の場でもあった。従い、復原に際しては、建物の復原のみではなく精神の復興も果たしていかねばならない。前回の再建で使われた台湾檜の調達が極めて困難との現実問題が大きく立ちはだかってはいるが、必ずやこの復興を成し遂げていきたい。早稲田の在野精神とは、何も無いところから何かを創っていく精神、それを存分に発揮していきたい。沖縄と米軍基地の関係について、基地に賛成・反対、とのはっきりとした二分論を唱えられるとしたら、それは沖縄の外に居るためであろう。県内では、現実に32を数える施設があり、県民9,000人が基地で働いている。ここまで大きな存在となってしまっている以上、その現実を無視することはできない。しかしそれでもやはり、外国の軍隊がどっかりと居座る現状はどう考えても不自然である。他国でも例があるように、日本の自衛隊の下に米軍を置くという形を目指すべきである。那覇空港について、自衛隊と共用する同空港は、昨今の中国との間に孕む不安定要因により、大変な過密状態にある。地政学的に観て、沖縄は中国及び台湾の政情とも密接な関わりを有するため、ここに注力して離島を守ってゆくことこそ、海洋国家である日本を守ることに他ならない。沖縄は危機感の塊ではあるが、一方では可能性の塊でもある。美しい海洋自然に恵まれ、クルーズ観光などの目玉があり、年間観光客数はハワイ並みの1,000万人規模を誇る。また、国内切っての移民県であり、南米諸国やハワイへ多くの移民を送り出してきた歴史があるからこそ、逆に外国人材の受け入れには打ってつけである。 〈所感〉 沖縄の現状を、45分という短い時間の中で、しっかりと伝えて頂いた。そして、その沖縄で、自民・保守という立場は間違いなく逆風を受けている。基地問題に対しては、単純な賛成・反対と言って片付けられるものではない。沖縄の現実を踏まえた堂々たる「保守宣言」は聴衆の心に響き、講師と聴衆のやり取りを含め、非常に濃密な講演であった。 〈その他〉 西原春夫名誉顧問からコメントあり、安全保障の本旨について卓説が呈された。即ち、現状の論争レベルに拘泥すれば解決法は見出だせない。遥かに高い次元から双方を観て、如何に相手に攻める気を起こさせないかを考えるのが肝要である、と。これはヘーゲル哲学で言うところの「止揚」に近いのかも知れない。 2. 『懇親会』司会: 齋藤徹也副事務局長 時刻: 16:30~18:20 (1) 会長代行挨拶(高原孝) 直近の活動を概説し、主要行事である三っつの大会(総会、秋季大会、新年会)に加え、特に墓参会やスポーツ観戦(野球、ラグビー)などに力を入れてきた。今後もこの伝統ある春秋会に相応しい活動を継続・模索してゆきたい。 (2) 新入会員紹介 今回は三室直人氏と谷中竜雄氏が新たに参加され、夫々に自己紹介をして頂いた。 (3) 乾杯(西原春夫名誉顧問) 以下ご挨拶の概要を記す。 激しさを極める米中貿易摩擦や、拗れにこじれた日韓関係に歯止めが掛からない混沌とした東アジア状勢に心傷める昨今ではあるが、戦争だけは絶対に回避しなければならないと常々考えている。各国の政治家達が今のレベルでお互いに外交論争ばかりしていては埒が明かない。自身は遥か数段高いレベルでの外交、即ち、東アジア各国で戦争を実体験した残り少ない高齢有識者との、「戦争だけは絶対にしない!」という共通認識を持つ人的交流を計画しており、既に多くの人々から一様に賛同を得ている。この活動の目標は東アジア各国による共同宣言「戦争は絶対にしない!」を世界へ向け発信することである。 そしてこの迫力あるご挨拶の後、先生の音頭で一同元気良く「乾杯!」、待ちに待ったビールを一気に飲み干し、和やかな酒宴が始まった。 (4) ハーモニカ演奏(鈴木敏雄会員) 西原春夫先生と同年代、90歳を超えてなお益々お元気な鈴木大先輩が、人生劇場を皮切りに名曲の数々を元気良く披露された。特に、懐かしのメロディー(古賀政男作曲)には、当時を偲ぶ多くの会員が一時、酒食・歓談を止めて聴き入る姿が目立った。 (5) 歓談、情報交換など 今回の参加者は、特に学生や外部の校友には声をかけず、春秋会員を主体としたが、講演者の國場代議士を囲み身近な会話や意見交換を始める交流の輪が拡がるなど、和やかでゆったりとした雰囲気の中で幾つかの小グループでの歓談が盛り上がった。また、久し振りでの再会を喜ぶ旧友どうしが夫々にじっくりと近況を語り合う姿も目立った。 (6) 校歌斉唱 石田明人副幹事長により、早稲田の歴史・伝統を讃える前口上が朗々、粛々と語られ、会場全体が一瞬静まり返る。やがて厳かに前奏曲が流れ、同氏の凛々しい指揮の下、参加者一同の、歳を忘れた大きく元気の良い歌声が響き渡った。 (7) 閉会の辞(手塚善雄会員) 春秋会長老のお一人である手塚大先輩より、本日の秋季大会の盛況を喜び、今後の更なる当会の発展を誓う閉会の辞を述べて頂いた。 【出席者】(敬称略あ順)青葉ひかる、安藤良男、安楽明郎、石田明人、海老沢勝二、 大石和礼、太田利雄、小川徹、片岡冬里、加藤善髙、川崎大八、菊地一郎、輿水敦、 小高俊久、小太刀昌雄、今野一男、齋藤徹也、島崎健司、島田實、新宮清志、鈴木徹、 鈴木敏雄、高原孝、武田淳史、田坂忠俊、土倉享一、出川達郎、手塚善雄、寺内清高、 寺崎敬市、中尾公一、中村哲三、西原春夫、野中信男、信井文夫、馬場正彦、廣本敦、 松原邦博、南隆、南丘喜八郎、真砂太郎、三村直人、守屋孝、諸江昭雄、谷中竜雄、 山口光朗、横山重文(以上47名) 以上(片岡冬里 記)
~2019稲門祭・出陣学徒献花式 春秋会参列~
毎年、稲門祭(大学OB招待ホームカミングデイ)は、先の大戦に斃れた早稲田大学出身者、学生、教職員の慰霊式から始まる。令和元年の稲門祭は10月20日。1978年早稲田大学史編集所が早稲田学報で戦没者調査経過を公表したが344名であった。その後1985年早稲田学報4~8月号に公表されたのは4443名、1986年3月の調査結果では満州事変以降の戦没者は4544名(内卒業生4399名)であった。1990年10月21日、早稲田大学創立百年に際し大隈庭園傍らに「平和祈念碑」を建立、裏面に学生の消えた学園を詠った女子学生の歌 「征く人のゆき果てし校庭に音絶えて 木の葉舞うなり黄に輝きて」 を刻み 「この歌は太平洋戦争当時の一女子学生が詠んだものである学生のいないところに教育は成り立たない。平和こそ教育の原点であることを、この歌は痛いほど明確に教えてくれている。戦争のため志半ばにしてたおれた早稲田大学関係者鎮魂の思いをもこめて、今ここにこの碑を建てる。」との西原総長の碑文を刻んでいる。基底部に4561名の判明した戦争犠牲者名簿を安置している。(早稲田大学百年史第4巻に4561名を収録)今年も田中総長、大隈家当主はじめ学園関係者参列の下、献花式を終え90歳半ばを迎えた生還学徒2名の長寿を祈りつつ、高い空に向かい都の西北を捧げた。(参加者・早稲田大学出陣学徒の会会員を含む春秋会会員多数。) (諸江昭雄 記)
~「出陣学徒壮行の地」碑 来春新国立競技場の元の場所に移設~
新国立競技場建設のため取り壊される旧国立競技場から一時秩父宮ラグビー場内テニス場東コート・クラブハウス入口に移設仮安置されていた「出陣学徒壮行の地」碑が来春、新国立競技場の元の場所に戻る事になった。 オリンピックの新しいメイン会場は曽て「幻の1940年東京オリンピック会場・神宮外苑競技場」であり、此の地から1943年10月21日出陣学徒が隊を組んで雨中の行進をし戦場に赴いた。残された記録映像を見たものは多いだろう。戦後戦地から生還した学生は亡き友を偲び早稲田大学出身寺尾哲男氏が中心となり「出陣学徒の碑」を旧国立競技場傍らに建立した。今年の10月21日(月)は曇天の中、早慶を中心とした「出陣学徒の会」が献花式を行った。NHKはじめマスコミの取材が多く夕刻のニュースで放映された。(参加・諸江昭雄 記)
~中野正剛先生・祥月命日墓参報告~
10月27日(日)快晴の中、中野正剛先生の祥月命日墓参を行った。 早稲田には隻脚の政治家が3人いた。大隈重信、中野正剛、永井柳太郎である。いずれも雄弁で鳴らしたが、権力を恐れない最も在野的な政治家と言えば中野正剛であろう。 東條英機首相の憲兵隊政治と対峙し1943年10月21日憲兵隊員監視の下、自室で27日深夜零時に刀一閃自裁したことばかりが喧伝されるが、先生と共に暮らした者は実に心優しいユーモア溢れる人柄だったと語っている。戦時中の食料乏しき中、池の鯉を料理して皆で食した事、家族の他に居候の猶興居学生数人と寝起きを共にし質素な生活を愛した事、 「大塩中斎を憶う」に著した通り心の襞を読み取れる政治家の一人であった。 出席者(敬称略あ順)片岡冬里、鈴木康之、高原孝、中島ヨシ子、中島久子、中野家4名、 馬場正彦、藤原忠夫、守屋孝、諸江昭雄、山口光朗(以上14名)。(諸江昭雄 記)
~秋季東京六大学野球秋季リーグ・早慶戦の応援~
今季3試合連続零封負けから立ち直り勝率5割で昨日(11月2日土曜日)早慶1回戦を迎えた。昨日は神奈川県支部大会が厚木にて催されていた際に慶應9戦全勝優勝との報告があり、11月3日日曜日の2回戦は春のリベンジを果たしたいと意気込む。朝7時横浜金沢文庫駅より出発し早過ぎた為品川駅より山手線内廻りに乗り換え1周し時間調整。JR信濃町駅9時30分到着、我が春秋会会員、横浜稲門会スポーツ観戦会メンバー全員揃う。各自自己紹介後、応援マナー等を説明し、途中早稲田スポーツ新聞を購入し野球談議。「投高打低」チーム打率1割9分5厘、中心打者福岡、加藤、檜村選手達が本調子でない。投手早川、徳山の先発投手陣は2枚看板と安定しているが8季ぶりの優勝が無い。慶應の10連勝を阻止し有終の美を飾りたい。球場3塁側の長蛇の列、慶應の応援者かと見つめるも来春の選抜高校野球東京都大会準決勝応援生徒達であった。我々の1塁側入口近くにも早大生。早稲田祭が催されているも早慶戦応援の為並んでいる。まず応援団幹部に挨拶、チケット、応援用具を受領後、応援部と共に同行し、学生応援席、チアリーダーの真後ろの席に案内される。11時より応援練習開始、グリークラブ30名による応援歌「紺碧の空」斉唱、チアリーダー、ショッカーズの素晴らしい演舞、早慶学生OB一同による「早慶賛歌」斉唱、校旗入場、校歌、エール交換と2時間が過ぎ去る。 午後1時早稲田先攻(先発徳山投手)、後攻慶應(先発森田投手)試合開始。1回表早稲田の攻撃、1番打者田中(早実出身)2塁打、2番打者中川(大阪桐蔭出身)の適打にて先取点、その後無死満塁有後2点、合計5安打にて3点先取する。また5回表の攻撃、2番打者中川四球、1死後4番打者加藤(早実出身)も四球、パスボールもあり1死2塁、3塁後、5番打者瀧澤(山梨学院大付属出身)の代打佐藤(早実出身)の適打にて2点、5対0と有利な試合展開。慶應打線も2回裏1死後四球、安打にて1塁3塁チャンスもダブルプレーにて無得点、6回裏徳山投手から代わった投手から2番打者下山(慶應義塾出身)クリーンヒット、四球にて1死満塁のチャンス、ゲッツー崩れの間に2点、5対2の接戦となる。早稲田8回表攻撃1死後蛭間(浦和学院出身)の2塁打にてダメ押しの1点。だが8回裏慶應の攻撃4連続四球にて1点、今西投手から西垣投手(報徳学園出身)へスイッチ、外野フライにてもう1点、6対4、最大のピンチ、最後三振にて打ち取る。9回表もチャンスなく、9回裏8番打者瀬戸西(慶應義塾出身)に安打されるも後続3人を三振に打ち取り、6対4勝利。慶應10連勝阻止。試合後、校歌斉唱、エール交換、楽しい観戦であった。明日(11月4日)3回戦の勝利を祈念し、球場近くの予約済懇親会場に向かう。 【出席者】(敬称略あ順)菊地一郎、柴田親宏、奥様妹、高原孝、松原邦博、守屋孝、 横浜稲門会スポーツ観戦会員、菊地一郎友人4名 (高原 孝記)
~関東大学ラグビー対抗戦・早慶戦の応援~
11月23日、強い雨と風の悪条件の中秩父宮ラグビー場で14時6分にキックオフ。前半の序盤5分WTB古賀(東福岡卒.スポ科3)の慶応陣後方への絶妙のキックからトライで5-0。 15分にも古賀が2本目のトライで10-0。20分には慶応のHO原田にトライを決められゴールも成功し7-10となりその後PK成功で10-10で前半戦を終えた。後半戦で勝負を決めたのは、10分、慶応のキックからの早稲田の逆襲でSO岸岡(東海大仰星卒教育4)がCTB中西(早実卒2)をうまく走らせ、リターンパスを受けて右中間トライ、ゴールも成功し17-10。その後慶応の猛攻にたえ、粘り強い守りで逃げ切った。その後横浜稲門会とともに祝杯を挙げ帰途に就く。参加者(敬称略あ順)加藤善高、高原孝、馬場正彦、松原邦博、守屋孝、守屋順子、諸江昭雄、若林和茂 以上8名 (松原邦博記)
~早稲田大学春秋会会旗作成の件~
平成19年2月当時、大浦真之会長から小川光治会長代行(同6月渡部恒三会長就任)に引き継がれる際に紛失した「早稲田大学春秋会会旗」を新たに制作することに致しましたが、伝統ある応援部春秋会の歴史を引き継ぐ当会としてそのシンボルである「紺碧の空」の歌詞・音符を会旗に織り込もうと考え、以前に都内「世田谷稲門会会旗」に「紺碧の空」歌詞・音符を織り込んだ経験を持つ土倉享一相談役(S34政経卒、元世田谷稲門会会長)に相談し協力をお願いしたところ、福島市・古関裕而記念館より古関先生直筆の歌詞・音符、日輪・冨士山、裕而印を頂戴することが出来ました。旗のデザインは記念ペナントOGIWARAに提案して貰い、役員関係者に諮って決定したいと考えています。(諸江昭雄記)
~2020年・箱根駅伝応援の案内~
新春恒例の箱根駅伝は、正月二日例年通り往路「華の二区」権太坂上で応援します。 前回はシード落ちしましたが秋の予選会を辛くも突破しての出走、活躍を期待します。 日 時: 令和2年1月2日(木)午前8時30分(時間厳守) 集 合:JR保土ヶ谷駅東口のバスロータリー 参加申込は春秋会事務局または幹事高原携帯 090-4948-7309まで
~2020年・春の墓参会の案内~
恒例の春の墓参会は護国寺の大隈先生と、谷中霊園の小野梓先生、石橋湛山先生の墓参です。 日 時: 令和2年3月28日(土)午前10時30分 集 合:音羽護国寺前の交番脇 会 費:1000円(花代、線香代、電池、交通費)昼食は各自ご負担でお願いします。
~新入会員紹介・よろしくお願いします~
(敬称略あ順)甘利廣、三室直人、谷中竜雄、籔本茂則
~会員の近況・返信のハガキから~
会員皆様の近況やお知らせをほんの一部ですが、紙面の許す限り紹介させていただきます。 青木宏衛・大怪我をして入院加療中です。 浅井潤・「軽井沢」と「早稲田」の歴史文献を集めております。多方面の情報ご提供下さい。 雨宮正英・この夏、早大合唱団の富士吉田公演があり聴きに行きました。いつもの応援部調と違い、合唱で唄う早稲田の栄光や校歌もいいものです。 荒俣大・仕事、子育て、地域活動中心に過ごしております。 安藤良男・去る6月、1週間北ドイツ9都市へ研修旅行に行きました。9月は北海道旅行です。ゴルフ、パソコン、スマホにも取り組んでます。 石田誠・埴原正直、朝河貫一、太平洋戦争に関する著書刊行のため頑張っております。 伊藤威知郎・5月に50歳になりました。半世紀生きてきました。沢山学びましたが、それは知識というよりも、人生劇場で教えて頂いた宝石のようないわく言い難い教えです。 伊東幹雄・市議会議員10期目に入りました。 小川徹・アメリカより日本へ帰国しました。現在の所属は早大(招聘研究員)、慶大、京大です。 小野寺敏・8月に未病総合治療院を開院し忙しくしております。 加藤暢之・猪瀬敏彦さんと同じ警備会社で頑張っております。 岸田正和・校友会、日本退職者会のメンバー仲間と元気にやってます。 中島ヨシ子・腰痛も大分良くなってきましたが階段の上り下りが不自由でもう少し時間がかかりそうです。 西脇久夫・ボニージャックス現役続行、元気で頑張ってます。 南隆・脳血管障害に特化した高度なリハビリに挑戦しています。 宮沢昭四郎・令和元年度、防衛大臣感謝状贈呈式が10/13に行われ、河野大臣から感謝状(募集功労)を受章しました。そして10/17は結婚記念日62回目でした。 村田光平・日本の名誉のために東京五輪の返上を週刊朝日(9/20)、月刊日本(10月号)で訴えました。 守屋孝・昨秋、71歳でメーカーに再就職、自治会長、社交ダンス大会チャレンジで多忙を極めています。 吉田富康・心房細動治療中、手術?ペースメーカーは順調 渡部恒三・体調不良のため入院しております。
~平成31年度分会費納入者(8/23~11/30)~
前号(125号)発行以降(8/23~11/30)に年会費の振込あった方の一覧は次のとおりです。 (あ順敬称略)甘利廣、荒俣大、伊東幹雄、加藤暢之、君和田久夫、小針侑起、篠原豪、白仁成文、砂川直輝、関雅行、田中寿三郎、中西剛、南雲靖夫、坂東能道、松浦悠子、三室直人、本村賢太郎、谷中竜雄、山平匡人
~ご冥福をお祈り申し上げます~
(あ順敬称略)柿沼隆、戸塚孝吉 以 上
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