ぼくには歌は作れないけれど……密室のミュージシャンへ
ラジオで紹介される若い世代の歌にあまり魅力を感じない。「近ごろの歌ときたら、さっぱりわからなくてね。やっぱり昔の歌はいいやね。」と嘆くような年寄りに、ついにぼくもなってしまったのだろうか? 発表当時や、その歌が流行っていたころはイマイチだと思っていた曲でも、バンドなどで取り上げると、けっこういい曲だと再発見することもあるから、今なじめない曲も、時間がたてば違って聞こえるのかもしれない。 だが、今ぼくが魅力を感じないと思う歌が、将来、当時の名曲として評価を受け、残っているかどうか、とても疑問を感じるのだ。 それは、曲の作り方や、発表のしかたにも原因があるのかもしれない。 往年の歌手の中には、小さな飲み屋を一軒ずつ回る、いわゆる流しをしていたという人がけっこういるようだ。酔客の反応やリクエストで鍛えられただろう。 「ゆず」の世代は路上ライブだ。(因みに、ゆずの2人はともに横浜のO中学校の卒業生で、当初はO中学校の学校ジャージーを着て活動していた。当時O中は荒れた学校として有名で、生徒や卒業生は出身中学校に誇りを持てないでいたのだが、ゆずの活躍によって、在校生が誇らしげにジャージーを着て闊歩する姿が見られたものだ。) 自信のある曲が意外に受けないとか、歌い方によって反応が違うとか、不特定の聴衆や通行人と空気を共有しながら、新しい曲が生まれるのだと思う。 しかし、今どきの「ミュージシャン」の中には、自室でコンピュータとシンセサイザーのみで作曲し、それをそのままユーチューブなどにアップする。反応は「いいね」の数。 「やだな」「詩が聞き取れないよ」「このメロディーってどうなの」「自己満足してるんじゃない?」というような反応は当然あるだろうが(実際にぼくが感じる違和感はそんなところなのだが)、届くことはないのだろう。
音楽だけじゃないのだな。若者よ、友だちはいるかい?話をしてるかい?もちろん、耳ざわりのいい話だけじゃなく、耳障りなことも言い合えるような友だちかい?まさか、面と向かっても、スマホなんか介しての会話じゃないだろうね。
因みに、音楽も芸術だから、表現の自由があって、どんなものでも許されるのは当然だけど、聞く人に共感してほしいのなら、人が音楽に何を求めているのかは考慮する必要があるんじゃないだろうか。 因みに聞き手としてぼくが求めるものは、共感できる詩、歌詞の内容が聞き取れる活舌と速さ、それに聞き手を置き去りにしないためのスピードと間、メロディーの心地よさ、コード進行の心地よさなどが必須なのだけれど。
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