ともに声をあげなければ
中国のネットに、こんな言葉が拡散しているらしいと、朝日新聞のコラム「多事奏論」(2月22日)で編集委員の吉岡桂子氏が紹介していました。
『我々は彼らのウソを知っている。 彼らも、彼ら自身がウソをついていることを知っている 彼らは、我々が彼らのウソを知っていることを知っている 我々も知っている 彼らが我々が彼らのウソを知っていることを知っていることを それでも彼らはウソをつき続ける』
ソルジェニーツィンの言葉とされますが、匿名のだれかが、ノーベル賞作家の名を借りたのかもしれません。今こんな言葉が拡散するのは、コロナウィルスを巡って、当局が都合の悪い情報をウソであるとして取り締まりを強化し、デマを流す人物を逮捕したり監視したりしているからなのでしょう。「彼ら」がだれを指すのかは明らかですが、文脈からはデマを流す不特定のだれかを指すのか、逆に取り締まる当局、しいては指導者自身を指すのかわからないようになっているところが憎いですね。 筆者は、こんな言葉でコラムを締めくくっています。
『独裁国家だけだろうか。 新型肺炎だけだろうか。 文書が気楽に消えてしまう国では、経験の英知も気軽に崩れる。ともに声をあげなければ、それはウソだと言わなければ、彼らはウソをつき続けられる。事実とウソの境界が溶けたとき、不信は連鎖し、社会は不安に陥る。 私は声をあげるひとりでありたい。』
約20年前、NHKテレビ「戦時性暴力」の特集番組に、放送前に圧力をかけ、内容を改変させたのに(それに屈してしまった当時のNHK上層部もあきれたものですが)、その事実を否定し続けた卑怯な政治家がいました。信念に基づいて抗議したと主張するのだったら、まだ人間として救いがあるのに。よくあることですが、否定し続ければ「あったことがなかったことにできる」と彼も学習してしまったのでしょうか。それとも、もともと先天的なウソつきなのでしょうか。いずれにしても小さい人間です。そんな彼がウソをつき続けながら、かくも長く、現在、国のリーダーであり続けるということは、とても恐ろしいことです。
私も声をあげるひとりでありたい。「おーい、王様はハダカだぞー!」「おーい、やつはウソツキだぞー!」「おーい、あいつはただの小さい小さいおじさんだぞー!」
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