アオゲラが、巣穴を守り始めました。穴の中から出てくることもあるので、中に雌がいて、抱卵をはじめているのかも。(キツツキの雌雄は、モヒカン族のような赤い飾り羽の大きさでわかります。大きいのが雄です。)
ところで、数か月前から検査の予約があって、眼科に出かけました。初めてマスクをしました。
マスクは訳あって大嫌いなのですが、診察や検査を受けるのですから仕方ありません。待合室がふだんほど混んでいなかったのは、眼科への通院を「不要不急」と考える人が多いのでしょうか?
都会ではマスクをしていないと、周囲の咎めるような視線が怖いなどと言われています。暴力を受けた人もあるとか。
マスクは有効だとか、さほど効果はないとか言われています。それでも少しでもリスクは避けたほうがよいということなのでしょう。でも、マスクをしていないからと、一方的に咎めるのはいかがなものでしょうか。なにか事情もあるかもしれないのに。
こういう状況だから、人はみなイライラしていて、ちょっとしたことで怒りに火がつくのでしょうか。
マスクが大嫌いなぼくは、こんな状況でもなければ絶対にしないでしょう。
小学生のころから眼鏡をかけていて、掃除当番や給食当番のマスク着用がいやでした。眼鏡が曇ってしまうのです。でも、クラスで、いや学年で唯一の「眼鏡小僧」のぼくの事情など、担任も含めてだれも理解してはくれませんでした。だからマスクはトラウマなのです。
コロナが収束するためには、我慢をしなければならないことは、よくわかります。しかし、この同調圧力はどこか恐ろしい。多数派に乗っかって、SNSなどでバッシングする人、学校が休みなのに公園で遊ぶ子どもはけしからんと怒鳴る人。
ところで、学校の前を通ると、毎日駐車場に車があふれています。休校でも職員は登校しているのです。会社も店も、そして学校も休みなさいと言われているのに。子どもの感染は困るけど、教職員は配慮されないの? まさか? どんな事情があるのでしょうか? 気になります。
横浜の市立学校では、逆に教職員は職務命令として在宅勤務を命じられる形になるのだそうです。そのかわり、「勤務時間」や「休憩時間」、仕事の始めと終わりの時刻は出勤時と同じで、どんな仕事をしたのか、毎日報告書を提出しなければならないのだと。生徒と会うこともできず、授業のない教員にとって、毎日報告しなければならないような仕事って、いったい何だろう? 「今日は教養と人間性を身につけるべく、映画のビデオ鑑賞をしました」「一日中、家にいる子どもの相手をして、保護者の気持ちをあらためて理解しました。」なんて書くのは恐ろしいし。
こんなの、まちがってるよ!