酒田の石の話
学校が再開された山形県では、その様子がニュースで報道された。友だちとの再会を喜ぶ子どものインタビューもあったが、「給食中のおしゃべりは禁止、教室ではお互いに距離を空けて、友だちに触れてはいけない」などが言い渡されたそうで、言わなければならない先生も気の毒だが、これではせっかくの学校も楽しくなさそうだなあと思わないではいられない。 昔、知人のある教員は「子どもはさわって育てるもんだ」などと公言して顰蹙を買ったものだが、一面の真理を言い当てている。触れ合うってとても大切なことで、ぼくも現役時代は体当たりしてくる生徒を受け止めたり反撃したりしたものだ。触れ合った生徒は、たとえ荒れても対話の糸口が見つかるものだった。 傷つき、ケガすることを恐れ、文字通り触れられない、体当たりしない、ケンカもしないという教室風景が当たり前になったことと、いじめの深刻化とは深い関係にあると思う。
とまあ、それはそれとして……。 近所の家が空き家になり、ついに解体された。先日通りかかると、きれいにならされた地面に巨大な庭石(おそらく)が数個残されていた。これから搬出するのか、それともこれから建てられる家に使われるのか。 それにしても、酒田市内の古い家は、どんなに狭い庭にも石が積んであるのには驚かされる。さすがに新しい家は、なによりカーポートが優先されるので、石庭どころか塀や垣根さえ作れないのだが。 酒田はかつて北前船が出入りする湊町だったのだが、聞いた話では酒田で米や紅花などを積む船は、バラストのために船底に積んでいた石を置いて行ったのだそうで、商人は残されたその石を生かして石庭を作ったり、神社の参道の修復に使ったりしたのだそうだ。 そればかりではない。郊外をドライブしていると、田んぼの隅などにまるで石舞台のように巨大な石が置かれていたりする。また、海岸の砂丘地帯を走る国道7号線沿線にある工事用の砂を採集する業者が、石屋を兼業していたりする。 どうやら砂丘や、かつて湿地だった田園地帯では、地中からごろごろと岩石が出てくるらしいのだ。鳥海石と呼ばれるこれらは、鳥海山が噴火したときに火口から飛んできた火山岩なのだろう。 そういえば、子どものころ通った津京の銭湯にも、小さな石庭があったものだ。その石は黒か赤褐色の穴だらけの石で、富士山の溶岩だと聞いた。江戸っ子や東京人は富士山の溶岩をありがたがったのだろう? 東京各所には、富士山詣での代わりになるというミニ富士山があるが、あれにも富士山の溶岩が使われていなかったろうか? 一方、鳥海石は褐色のざらざらした石で、工場やショッピングモールの敷地の隅にも積んであったりする。庭園の一部とか、なにかの記念とかではなく、撤去しようにも金も撤去先もないし、と持て余していることがありありだという風情で。
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