バッハ無伴奏チェロ組曲3番 BWV1009から第5楽章:ブーレーを
ピエール・フルニエ パブロ・カザルス ミッシャ・マイスキー アンナー・ビルスマ ヤーノシュ・シュタルケルで聴き比べてみました。
*カザルスは1936年録音のモノラル・レコードから収録
無伴奏チェロ組曲 wikipediaより
ヨハン・ゼバスティアン・バッハの無伴奏チェロ組曲(ドイツ語: Suiten für Violoncello solo)は、チェロ独奏用の楽曲で、以下の全6曲を指す。 無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV1007 無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調 BWV1008 無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV1009 無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調 BWV1010 無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調 BWV1011 無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調 BWV1012 作曲年代は明らかでないが、その大部分はケーテン時代(1717年-1723年)に作曲されたと思われる。ケーテンの宮廷オーケストラは12人の楽師で構成されており、宮廷ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者でチェリストも兼ねていた、クリスティアン・フェルディナント・アーベルのために書かれたという説もある。近年、ヴァイオリンのように肩で支えた姿勢で弾く小型のチェロ(ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ)が復元され、ヴァイオリンの無伴奏曲と同様にバッハ自身が弾くために書かれたとする説も浮上している。 |
ピエール・フルニエ wikipediaより
ピエール・フルニエ(Pierre Fournier ,1906年6月24日 - 1986年1月8日)はフランスのチェロ奏者。気品のある容貌と格調の高い表現、優雅で洗練された演奏で「チェロの貴公子」と呼ばれた。独奏者として優れていただけでなく、世界的な名手たちとの室内楽を多く手がけた。親日家としても知られる。 パリ生まれ。幼少より母親にピアノを学んだが、9歳のとき小児麻痺による右足の障害のためにチェロに転向。パリ音楽院でアンドレ・エッカン、ポール・バズレールに師事する。 1923年にパリ音楽院を一等賞で卒業。 1924年、パリでコンサート・デビュー。 1930年ごろ、ガブリエル・ブイヨン(ヴァイオリン)、ヴラド・ペルルミュテール(ピアノ)とのピアノ・トリオで注目される。 1937年、31歳でエコール・ノルマル音楽院教授となる。第二次世界大戦中は、ドイツ軍の占領中もパリに残って活動するが、ナチスに迎合することはなかったという。 1941年から1949年までパリ音楽院教授。 1942年、ヨゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)、アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)との三重奏、さらにウィリアム・プリムローズ(ヴィオラ)を加えた四重奏で活動。 |
パブロ・カザルス wikipediaより
パブロ・カザルス(Pablo Casals、カタルーニャ語:Pau Casals, 1876年12月29日 - 1973年10月22日)は、スペインのカタルーニャ地方に生まれたチェロ演奏家、指揮者、作曲家。 カタルーニャ語によるフルネームはパウ・カルラス・サルバドー・カザルス・イ・ダフィリョー(Pau Carles Salvador Casals i Defilló)。 チェロの近代的奏法を確立し、深い精神性を感じさせる演奏において20世紀最大のチェリストとされる。有名な功績として、それまで単なる練習曲と考えられていたヨハン・ゼバスティアン・バッハ作『無伴奏チェロ組曲』(全6曲)の価値を再発見し、広く紹介したことがあげられる。 早くから世界的名声を築き、ヨーロッパ、南北アメリカ、ロシアなどを演奏旅行して回った。指揮者フルトヴェングラーはチェロ奏者としてのカザルスへ次のような賛辞を残している。「パブロ・カザルスの音楽を聴いたことのない人は、弦楽器をどうやって鳴らすかを知らない人である」。 カザルスは平和活動家としても有名で、音楽を通じて世界平和のため積極的に行動した。 |
ミッシャ・マイスキー wikipediaより
ミッシャ・マイスキー(Mischa Maisky, 1948年1月10日 - )は、ラトヴィア(旧ソビエト連邦)出身のチェロ奏者。名前はミーシャとも。ラトヴィア語名、Miša Maiskis(ミシャ・マイスキス)。 現在もっとも活躍している世界的チェリストのひとり。同じリガ生まれのヴァイオリニスト、ギドン・クレーメルはマイスキーの1年先輩にあたり、クレーメル主宰のロッケンハウス音楽祭には定期的に出演している。マルタ・アルゲリッチとの共演をはじめ、室内楽にも精力的に取り組んでいる。レパートリーは幅広く、チェロ用に書かれた作品のほか、フランツ・シューベルトの歌曲をチェロで演奏するという試みもある。 1948年、リガ生まれ。ユダヤ人の家系で、8歳からチェロを始める。リガ音楽院を経て1962年にレニングラード音楽院付属音楽学校に入学。マイスキーは少年時代からヨハン・ゼバスティアン・バッハの音楽に惹かれていたという。 1965年、17歳で全ソビエト連邦音楽コンクール優勝。同年、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団と協奏曲を弾いてデビューする。 |
アンナー・ビルスマ wikipediaより
アンナー・ビルスマ(Anner BijlsmaまたはBylsma, 1934年2月17日 - )はオランダのチェロ奏者。バロック・チェロの先駆者かつ世界的な名手として知られる。「アネル・バイルスマ」また「ベイルスマ」と表記することもある。 オランダのハーグ生まれ。ハーグ王立音楽院でカレル・ファン・レーウェン・ボームカンプに師事。1957年に最優秀賞を得て卒業。 1959年、パブロ・カザルス国際コンクール(メキシコ)で優勝。 1962年から1968年までアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団首席チェロ奏者。この間、グスタフ・レオンハルト、フランス・ブリュッヘンらと親交を深め、バロック・チェロ奏法を追究・確立する。 1982年にハーヴァード大学で学究生活を送る。 古楽器演奏の第一人者 ビルスマは、バロック・チェロと使用されるガット弦の特徴を活かし、親密で語るようなフレージング、多彩なニュアンスを聴かせる。 |
ヤーノシュ・シュタルケル wikipediaより
ヤーノシュ・シュタルケル(János Starker, 1924年7月5日 - 2013年4月28日)は、ハンガリー出身のチェリスト、音楽教育者。 ブダペストに生まれ、7歳でブダペスト音楽院に入学を許されるほど、幼い頃からその天賦の才能を発揮した。音楽院ではアドルフ・シッファーに師事した。 11歳でソロ・デビュー、翌年ルーマニアのブカレストで演奏会を行い、国外デビューしている。 1945年にブダペスト国立歌劇場管弦楽団およびブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団の首席チェロ奏者に就任。また、ピアニストのシェベーク・ジェルジ(ジョルジ・シェベック)らとピアノ・トリオを結成し、活躍した。 しかし翌1946年には祖国を去り、ヨーロッパ各地で演奏を行いその名を知らしめた。フランス滞在中20枚ほどSPレコードを録音したが、その中の1枚コダーイの無伴奏チェロソナタが1948年のディスク大賞 (Grand Prix du Disque) を獲得した。 |