違和感を覚えませんか?
「新しい生活様式」が発表されたとき、ひどく違和感を覚えたのですが、どこからも疑問や批判が聞こえてこなかったので、そのモヤモヤを抑え込んでいました。近ごろ、ようやくその違和感を言葉にしてくれる言説が登場し、「よかった。やはり違和感はきちんと言葉にして伝えるべきだった」と感じる今日この頃です。(『違和感を感じた』と書いたら、wardがダメ出しの2重アンダーラインがつけたので、『違和感を覚えた』などとキザな書き方になりました。) 違和感の第一は、この理不尽な「生活様式」は、コロナが収まるまでの当分の間のことではなく、人類は今後このように暮らせと推奨しているらしいことです。期限付きなら忍耐もできるでしょうが、今までの生活にはもはや戻るべきでないと言っているらしいことに、恐怖を感じたのです。 なによりもこの生活様式では、バンド活動も合唱もできないらしいことです。自分の生活を振り返れば、老後の楽しみはこれしかないわけですから、それを奪われて生きる意味はあるのかとさえ思ってしまうわけです。 練習は同じ空間で共に行うから連帯感も生まれるわけで、オンラインでと言われても、それは違うでしょとなります。もちろん発表だって、たとえネットで配信して、「いいね!」をいくつもらったところで、聴き手が同じ空間にいることとは全く違います。
再開された学校で、校長が「友だちにさわってはいけない」と指示しているのを見て、成長も教育もあったもんじゃない、それじゃ学校ではなかろうと突っ込んでいました。 在宅勤務などできない職種は、今でも医療関係者も含めて差別を受ける傾向があります。新しい生活様式は、これを正当化しかねない。おそろしいことです。 「自粛警察」は、大政翼賛会や国防婦人会を想起させます。むしろ匿名であることが昔より絶望的かもしれない。これまたおそろしいことです。
動物学者も人類学者も、ヒトは向かい合い、触れ合ってコミュニケーションを育み、進化してきた動物であって、それを否定したらヒトではなくなるという趣旨のことを言っています。まったくその通りで、このままではコロナに勝つのではなく、完全な敗北にしかならないでしょう。
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