「エモい」って「キモい」のともだち?奇妙な日本語への苦言
NHKラジオのある番組の「お便りテーマ」が、「エモい」でした。いやだなあ。このテの言葉が大きらいです。そして、すぐにチョウチンかついで使ってみようとする高齢者も好きになれないな。早朝から深夜まで、日がな一日番組に投稿を続ける「はがき職人」の皆さん、ごくろうさまです。言葉をつづることは脳トレにもなることだから、否定はしません。でも、わかったふりや、理解があるふりはやめませんか。いやなものはいや、変なものは変って言いましょう。 私たちが今ここにあるのは、昔の頑固おやじや話のわからない年寄りのおかげです。彼らが強固な壁として立ちはだかったおかげで、それをどう説き伏せ攻略するかと、私たちは知恵を絞ったのです。年寄りが若者に甘くなれば、世の中全体のねじが緩んでしまいかねないと思いませんか。 ところで以前、以前電車でしゃべっている老婦人の言葉にはっとしたことがあります。古風な山の手言葉だったからです。ぼくたちが育ったのは、山の手でもあんな言葉をしゃべるほど上品ではなかった。でも、それが山の手言葉とわかったのは、ラジオなどに出演するたとえば料理の先生とか、歌のおばさん(お小さいみなさん!なんて言っていましたね)の言葉がそれだったからです。ラジオのアナウンサーの言葉や出演者の言葉が、ぼくたちのいわば生きた言葉の教科書のようなものでした。ちなみに今どきの東北の子どもたちの言葉のなんときれいなこと。東京の子どもよりよほど上品な共通語でしゃべります。これもテレビのおかげでしょうか。 そのラジオやテレビが使命を忘れて、エモいだのキモかわいいだのといった感覚的でしかも下品な語感の言葉にお墨付きを与えている。イントネーションも変で、「今年度末」などの「まつ」を、「つ」にアクセントをつけたりしている。 私たちは、自然を大切にだとか、伝統文化を守ろうなどと言うくせに、文化の中心である言葉をあまりにないがしろにしていないでしょうか。 「故郷」東京がどれほど変貌しようが、それは仕方がないことです。でも、話されている言葉があまりに変わってしまうと、地方で暮らす者にとってまるで外国語です。いや、日本で暮らす外国人(あるいは日本のアニメに親しむ外国人、たとえば香港のアグネス・チョウ氏)のほうがよほど正しい日本語を話していると思いませんか?
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