鶴岡にある庄内藩の藩校「致道館」。
それにしても、80年たってもこの国の政治指導者の体質は少しも変わっていないのだなあとがっかりした。具体策も示さないまま(というか、各個人の自粛頼み?)、「コロナに打ち克つ」などとぶち上げている。「鬼畜米英、勝て勝てニホン」とどこが違うのだろう?
さて、今日1月19日午前11時35分、ラジオ番組に割り込んで庄内地方の暴風雪警報解除という放送。でも外は吹雪のまま。ラジオには雷の放電の雑音が入り、遅れて雷鳴がとどろく。この状況で解除とは。昨夜は、まだ風も雪もないのに警報を出した。危険に備えろということだろうと好意的に受け取ったのだが、今の解除は?
羽越線の上り特急いなほが、最上川の鉄橋を渡ってすぐ脱線する事故があってから、JRは慎重になって、一定以上の強風になると運行を停止するようになった。その一方で、気象庁は酒田の測候所を無人化してしまった。そのためか、ラジオの天気情報がちぐはぐになっている。
午後になっても、時々視界が遮られるほどの吹雪になる。時々太陽ものぞくようになったのは、低気圧が通り過ぎ、西高東低の冬型気圧配置になった時の酒田の典型的なパターンだ。テレビやラジオの予報士は、そんなことは知らないだろうなあ。
ところで今朝のテレビの料理コーナーは、アサリの炊き込みご飯だった。アサリかあ、春だねえ。潮干狩りか? こっちはまだ春は遠いけれど。
それでちょっと寂しさを感じたのは、ここ酒田では、新鮮なアサリというのが売られていないからだと思う。
子どものころは、東京の街にも様々な物売りの声があふれていたっけ。
金魚売り、風鈴屋、焼き芋、朝の納豆売りとアサリ売りetc。
ぼくたち子どもは、そのまねをしながらついて歩くこともあった。
「ナットナットー ナット!」「アーサリー シージミー!」
「アッサリー シンジメー⦅あっさり、死んじまえ⦆」というバリエーションも人気で、怒られるのをおもしろがって叫んだり。
近所にアサリ屋さんの店もあって、学校に行くとき、店(といってもトタンで囲んだバラックだったけれど)の前を通ると、アサリやシジミが入った入れ物が並び、少し奥には女性たちが座って、殻を開けてアサリの身を取り出す「むき身」を作っていた。あのアサリ、市場で仕入れたのか、それとも自分で採ってきたものか?
アサリを殻のまま味噌汁に入れたり、むき身を炊き込むアサリご飯(深川飯?)。
……しかし、日本海には潮干狩りがない。潮の干満という現象がほとんどない。つまり潮が引かない。それだけで、文化が違う。干潟という言葉が通じない。アサリを採る漁もないのかもしれない。庄内の食文化に、アサリが存在しないのだ。スーパーでは九州産のアサリが売られているが、真空パックや冷凍では躊躇してしまう。生きていて、塩水の中で砂や水を吐き出してこそアサリだという気がするのだ。
アサリが生息しないのかというと、砂浜には、いや砂の海底にはいるらしい。海水浴で海に入って、足で砂を探ると見つかることもあるという程度。
東京湾にも干潟がほとんどなくなってしまったから、「潮干狩りって何?」という人も増えたのではなかろうか? でも以前住んでいた横浜では、金沢区の野島に潮干狩りのできる砂浜があった。近くに八景島シーパラダイスができた時、対岸を人工砂浜にしたので、この一帯では潮干狩りができ、ゴールデンウィークのころには京急の電車は、潮干狩りの客でいっぱいになったものだ。
アサリがもっと簡単に手に入れば、スパゲッティ・ボンゴレのロッソもビアンカも作れるし、炊き込みご飯も、酒蒸しも作れるのに……。
潮干狩りがない地方には、アサリを使った郷土料理もないのだろう。話題にもならないのが少し寂しい。そのかわり、ハタハタやタラなどの料理があるし、生のサケやサクラマスも身近な食材だ。鮭類のレシピの筆頭が煮つけというのは納得できないけれど。
そうだね。アサリはないけれど、タラを骨以外すべて使う味噌仕立ての「タラ汁」別名「どんがら汁」(どんがらは胴殻のこと)の季節。春にはタケノコのみそ汁である「孟宗汁」、ネマガリダケの「タケノコ汁」など、庄内ならではの郷土料理もあるのだけれど。