「みのむしいとあはれなり。鬼の生みたりければこれも恐ろしき心あらむと……(中略)……風の音を聞き知りて、はづきばかりになれば、ちちよちちよとはかなげに鳴く、いみじうあはれなり。」(『枕草子』より)
小学生のころから愛読した「少年少女ファーブル昆虫記」は、中村浩訳(あかね書房)で、読み物としておもしろかった。焼け跡の原っぱで、ただ追いかけて捕まえていただけの蝶や蜂が、こんなにもおもしろい生き物なのかと、好奇心をかきたてたのだった。
そんななかに、タマコロガシやカリウドバチほど知られていないが、ミノムシの話があった。生まれてまもないミノムシ(ミノガの幼虫)はすぐに自分でミノを作り始めるのだが、それをまた裸にして、染めた砂粒を敷いた中に入れ、その砂でカラフルなミノを作らせるという実験(いたずら?)の話があった。しかし、夏を過ぎたミノムシは、もはや新しいミノを作らなくなり、ひたすら糸を吐き続けるだけになる。これは、気温が下がる季節には、ミノの内側を厚くすることに集中するように本能が命じるからなのだろうという。だから、秋以後のミノムシのミノは丈夫で、内側が真珠色の光沢を放つ。(これを張り合わせてバッグを作って提出した同級生がいたっけ。)
ミノムシの雌は、雄のように蛾の形にはならず、種類によっては卵を体内に抱えたままでミノの中で死んでしまう。春になると幼虫が孵化し、最初の食べ物として母親の体を食べる。
子どもが幼いころ、ミノムシを見つけてきて裸にし、細かく切った赤い色紙を与えてトウガラシのようなミノを作らせて見せたことがある。ゲームやスマホがなくても、子どもを楽しませる方法は無数にあるものだ。
ところが最近、ミノムシが見あたらない。退職した年に、記念に沖縄旅行に行った。公園の木にぶら下がる小さなミノムシを見つけ、妙に感動した記憶がある。見つけて初めて、ミノムシが身近にいなくなっていることに気がついたのだ。あのミノムシは、勝連城の遺跡で見つけたルリハコベの青い花と共に、沖縄のなつかしい思い出になっている。
ところで先日、酒田市北部の自然公園のサッカーグラウンドの植え込みで、ミノムシの集団を見つけた。なんということ、ものすごい数だ。春先だし、大きくて干からびているような感触だからサナギになっているのか、すでに成虫が羽化した後なのか、それとも卵を抱えた雌の死体なのかもしれないけれど。