新緑の季節になった。今年生まれたらしいリスが数匹、兄弟で遊ぶ姿も見られるようになった。好奇心が強いリスは、こちらに危険がないとわかると、安心距離を保ちつつ、興味深げに観察したりする。
次の写真は成年リスらしい。落ち着いて見えるけれど、次の瞬間、クルミを落としてしまって大慌てしていた。
ところでわが家では、ラジオもテレビもほとんどNHKだから、他局のことは分からないのだが、ニュースなどで元号のみを使うことがあるのだが、ほんとうにやめてもらいたい。
元号法が審議されたとき、元号は不便だという意見と、伝統を守れという意見が対立した。だから、公的な文書などでは、西暦と元号は併記しようという雰囲気になったという記憶がある。そもそも元号法には、公文書に元号を使えなどとはかいていない。(これは国旗国歌法もそうで、どの場面で国歌を歌えとか、国旗を掲げよなどということは書かれていない。だが、恐れていた通り、学校の儀式などでは強制され、従わないと処分される。歌っているかどうかを口元を見て確認するなどという、よその独裁国家を笑えないようなことが行われている。)
こんなことを言うと、やれアカだの反日だのと頓珍漢なことを言う輩がいるかもしれない。だがそんなレベルの話ではない。西暦が併記されない元号のみでは、墨塗りされた情報を見せられているようでイライラするのだ。
昭和24年生まれのぼくは、昭和24年が1949年だとわかっている。だから、昭和ならわりと早く西暦に換算できた。ところが、平成になるとこの換算がすぐにはできない。もともと数字に弱い身としては、平成と西暦の両方を頭に入れることができない。そこで、元号の方は忘れることにしたのだ。だって、必要なら人に聞くとか、新聞を見るとかすればよいのだから。数字に弱い人間の、ささやかな「生活の知恵」さ。
なぜ元号でなく西暦を残したのかって? そのほうが便利だからだ。日本と世界の出来事を時系列で捉えることができるじゃないか。
外国の出来事を西暦で、日本の出来事を元号でとなると、互いの前後関係がわからないし、日本の出来事でも、それが何年前のことなのかわからない。湾岸戦争は1990年、阪神淡路大震災は平成7年。あれ、どっちが先だっけ?
このイライラには覚えがある。あれは高校の歴史の授業だ。世界史の方はあだ名がドンガバチョという先生だった。大きな声で演説調に講義をするのだが、それがおもしろくてわかりやすかった。彼がよく言っていたのは、歴史とは互いに関連した出来事の流れだということ。音楽や美術の古典主義、ロマン主義の背景に何があるのか。ベートーベンがサロンではなくホールで演奏される交響曲を作曲したのは、社会がどう変化したからなのか、等。
歴史のうねりは、日本にも影響を及ぼしていることを意識しなければいけないなど。音楽史や美術史など、個別に学んだことがすっきりとつながった一瞬だった。
ところが日本史の先生は、生徒と視線を合わせることはなく、いつもボロボロのノートをめくりながらぶつぶつとしゃべり、生徒に背中を見せて板書を続ける人だった。歴史的事件には必ず元号を振った。
一つ一つの項目について「これは〇〇年の××大の入試に出ました。」とつぶやきながら。
彼にとっては、歴史は事件の羅列にすぎず、入試問題の集合でしかないらしかった。なぜ元号を覚えることが必要かと質問したら、それが入試に出るからなのだと言う。
ちょくちょく変わってしまう昔の元号。〇〇の変と××の乱、どちらが先に起こったんだっけ? そしてそれは何年後?元号だったらわからん! だからか、昔は元号以外に十干十二支に基づく表記法があったのは。あれで前後関係をカバーしたのかも。それもややこしいけれど。
高校3年生の3学期。最後の授業が日本史だったのをよく覚えている。なぜならぼくは出席をボイコットして、隣のクラスにもぐりこんで世界史の授業を聞いたからだ。ささやかだが、ぼくの初めての反抗だった。
ところで、元号のような独自の年号を持つ国は、日本だけだそうだ。でも先日、ラジオでネパールでは独自の年号が使われていると言ってたっけ。もちろん、日本の元号のように国の象徴が変わるつど変わるのではなく、一続きのものなのだが。外国の話だと、「ふーん、ずいぶん不便なんだろうなあ」と思ってしまう。そういうものでしょ?
繰り返すけれど、元号法は使用については何も書いていない。もしニュースなどで過去のできごとについて報道するなら、せめて併記という形にしてもらいたいものだ。
NHKはいったい誰に対して、なぜ忖度しているのかな?