蝶を羽化させる話
サルトリイバラという植物が、散歩で歩く森に自生している。イバラといっても単子葉類のユリ科のつる植物で、実が赤く熟したものを、生け花では山帰来とも呼ぶらしい。鉤爪のような大きなとげがあり、猿もひっかかるだろうというのが命名の由来なのだろう。 ある時、実をつけたサルトリイバラを見つけたので、近寄って見ていた。この森にはハチ類が少ないせいか植物があまり実を結ばないのだ。近寄って見ると、葉が何かに食べられている。サルトリイバラを食草にするのはどんな虫なのか気になって葉を裏返して見ると、大きなとげのある毛虫がいた。体は黒っぽく、とげは白く見えた。 しばらくして、同じ毛虫を自宅で見た。ホトトギスの株で、母が庭で育てていたものを株分けしたものだ。ホトトギスの花を美しいとは思わないが、一風変わった花ではある。紫がかったまだらが鳥のホトトギスを連想するのだろうか? その葉が食べられている。犯人を確かめようと裏返すと、サルトリイバラと同じ毛虫がいた。そこで自宅にある分厚い昆虫図鑑を調べてみると、ルリタテハがヒット。黒地に青い模様のある蝶だ。さいわい、まもなくサナギになりそうなほど大きく育っているので、室内に招待して、瓶に入れた。ホトトギスを一株、瓶にはいる長さだけ切り取り、切り口に湿ったティッシュを巻きラップで覆う。瓶のそこにはティッシュを敷いておく。糞を掃除しやすくするためだ。止まり木として念のため割りばしも立てておく。幼虫としての最後の脱皮を終えている終齢幼虫は、食べては眠ることを繰り返して最後の休眠に入る。それから糸で足場を固めてから背中を糸で支え、最後の脱糞をして脱皮して蛹になる。割りばしは役に立ったようだ。サナギの背には突起のような部分があって光っている。光る部分があるのは、以前羽化させたツマグロヒョウモンと似ていて、タテハチョウの仲間の特徴なのだろう。鳥を脅かすためだろうか? サナギが羽化する瞬間に立ち会えたことはない。それでも蝶が羽化するのは嬉しいものだ。ルリタテハは翅を閉じると、裏側は黒褐色の迷彩柄なのだが、開くと黒地に光る青い筋が浮かんでいる。写真を撮るのは大変だ。じっとしていてくれないし、カーテンや網戸にとまると逆光だし。 いい大人が、蝶を羽化させるなんて変わった趣味だと思われそうだ。実は趣味というほどのめり込んでいるわけでもない。それでも目の前に羽化しそうな幼虫がいると挑んでみたくなるのは、アオスジアゲハが最初だった。目の前で産卵したのだ。子ども時代、あまりに素早くて捕らえられなかったアオスジを自分で羽化させたくなったのだ。次はツマグロヒョウモン。まだ珍しかったころで、スミレについていた幼虫を育ててみたのだ。残念なことに、翅の先が黒くない雄の方だったが。 定年退職した年、うりずんの季節に沖縄旅行をした。沖縄戦の戦没者の慰霊をする摩文仁の丘を訪ねると、なぜか蝶を育てている昆虫館のような建物があったのだ。「沖縄平和祈念堂・清ら(ちゅら)蝶園」という。日本最大の蝶といわれるオオゴマダラをはじめツマベニチョウなど、内地では見られない美しい蝶が、そこで育てられていた。しかし、なぜ摩文仁に蝶なのかと思った。平和の鳩のように、慰霊の日に一斉に飛ばすのだろうか? 古代の日本では、人々は鳥や蝶を恐れたという。鳥や蝶は死者の魂なのだと信じられていたのだそうだ。だから万葉集の歌などを、自然を素直に読んだ叙景歌などと単純に考えてはいけないと。 摩文仁の蝶も、戦の犠牲になった人々の魂を象徴するものとして考えられているのだろう。因みに当方の森にもゴマダラチョウが生息している。白地に黒い筋の模様があり、ゆったりと飛ぶ。しかし、両者は一見似ていても分類上はかなり遠いらしい。ゴマダラの幼虫はオオムラサキにそっくりなのに、オオゴマダラは全然似ていない。むしろアサギマダラに近いのかもしれない。オオゴマダラの樽型のサナギが全身金色に輝くことは有名だ。
さて、この秋も、自宅のホトトギスの葉が食べられ、裏にルリタテハの小さな幼虫がついた。この幼虫はベーグルのように体を輪の形に丸くする特徴がある。小さな緑がかった一例幼虫など、カタツムリの糞にしか見えない。これも擬態の一種なのだろう。終齢になったら一頭だけ招待するとするか。
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