リスは木を植える動物だと言われます。冬に備えて地中に埋めたのに、忘れられた実が発芽して成長するのだと。
ぼくはちょっと疑問を持っていて、いくらノーテンキに見えるリスでも、埋めた場所を忘れるほど愚かではなさそうだと思うのです。
以下はちょうどクルミを埋めた現場写真です。
この季節のリスは、いつも忙しそうにせっせとクルミを採集し、あちこちに隠します。地中ばかりでなく、枝の付け根や木の穴にも隠すようです。他のリスや人が見ていると気づくと、隠したふりだけして別の場所に運ぶこともあります。
これらは、冬の備えだけでなく、木の実が実る夏や秋までの食料ですから、いくら多くても多すぎることはないとリスは考えているでしょう。備えあれば憂いなしですからね。ですから、忘れるのではなく、もともと余るようにたくさん貯蔵するわけです。
隠した場所からクルミをみつけるとき、リスが迷っているのをみたことはありません。ピンポイントですっとくわえあげるのです。
それよりも、ちっぽけなリスのちっぽけな脳みそで、将来を見据えて行動することに敬意さえ覚えます。
そして、彼らの表情を見ると、リスにも感情や知恵の片りんを見るような気がします。まじめな顔、フアン、驚いた顔、人間をからかっているような薄ら笑い、満面の笑顔?
子どものころ飼っていたシマリスは、よく一人遊びをしました。ぼくの手を相手にして遊ぶことも。遊びは生活の知恵を学ぶことであり、本能だけで生きる生き物にはあり得ない行動です。ちっぽけなリスにも知性があるのだと信じます。
ところで、昨夜6時ごろ、自宅上空を通過する白鳥の群れの声を聞きました。昔のウェスタン映画のアパッチの襲撃のような声です。「冬の使者到来」です。写真は、庄内空港緩衝地帯に植えられたコキア(ホウキグサ)です。