夕焼けの話
高校の途中から多摩町(現多摩市)に転居したので、高校と大学の通学には京王線を使いました。夕方帰宅するころは高架を走る電車から夕焼けが見えました。そういえば、高校の廊下の窓からも夕焼けがよく見えました。 特に秋の終わりから冬にかけて、いわゆる冬型の気圧配置の時には空気が乾燥し、毎日夕焼けが見えたものです。それは舞台のホリゾンのように西の空一面が赤く染まり、奥多摩、丹沢、そして富士山、裸のケヤキがシルエットになり、一番星の金星が輝くのです。 今、山形県の庄内地方に住み、東京の夕焼けを懐かしく思い出します。庄内は日本海に沈む夕日が名物なのですが、残念なことに砂丘に阻まれ、我が家を含めて市内からは海も夕日も見えません。 長く住んだ横浜でも、夕焼けが見える場所は限られていました。関東平野から外れた横浜は、丘陵に阻まれて、夕焼けと富士山のビューポイントが少ないのです。 思い出したことがありあす。小7学生のころ所属していた少年合唱団で北海道に演奏旅行に行ったのですが、美唄だったかな? 「ここは夕焼けがきれいで有名なんだよ」と土地の人が自慢したのです。でも、見えたのは縁が赤く染まった黒い雲が浮かんでいるだけ。当時のぼくには、きれいな夕焼けには思えなかったのです。 山形県でも同じです。海に沈む夕日は、周囲の雲を赤や金に染めます。でも空が赤く染まることはほとんどありません。 そもそも夕焼けというもののイメージが違ったのです。雲がなく空気が乾いているのに西の空が赤く染まるのは、空気が塵を含んでいるからなのですね。砂漠の夕焼けと同じ現象なわけです。 もし東京の空が、60~70年代よりきれいになったのなら、夕焼けは昔ほどきれいではないのかも。 でも、ごくたまに庄内でも東京のような夕焼けになることがあります。春、妙に景色が霞むことがあるのです。地平線近くが薄茶色に見えるほど。大陸の黄砂が来るのかもしれない、そんなときです。 皮肉な話ではあるのだけれど、空気がきれいな時、きれいな夕焼けにはなりにくいのかもしれない。 ところで、酒田出身の詩人、吉野弘の「いつものことだが/電車は満員だった」で始まる「夕焼け」という詩があります。美しい詩です。ぼくは中央線か京王線が舞台なのだろうと思っているのですが。
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