今日は聖バレンタインの日
「サンジョルディの日」をご存じですか? そんな一面広告が新聞に載ったのはいつだったか? 最初に感じたのはデジャビュ、「どこかで見たぞ」という感覚だ。 1070年代初めごろだったと思うけど、「セントバレンタインデーをご存じですか」という一面広告を見た。それによると、世界では聖バレンティンの命日である2月14日は、女性から男性にチョコレートを贈り、愛の告白をしてもよい日とされているというのだ。広告主は忘れたが、チョコレートメーカーだったことはもちろんだ。「1年で1日だけ、女性から告白してよい日だなんて、おかしくないかい」と北海道弁風に突っ込んだりもしたが、なんとバレンタインチョコの風習はまたたくまに定着し、まるで日本古来の伝統行事であるかのように居座ったまま、圧倒的な数の男子を悲しませている。 土用ウナギは江戸時代、暑い盛りにはウナギの売り上げが減ることを相談された平賀源内が「本日丑の日」と大書してうなぎ屋の店先に張り出したところ、「丑の日ってなあおめえ、ウナギを食う日と昔から決まってんだ」などとおっちょこちょいの江戸っ子が勝手に勘違いしたのだとか。 以来、この国では、2匹目のウナギ、いやドジョウを当て込んで、おっちょこちょいな国民性につけこんだ宣伝手法が繰り返されてきた。節分の恵方巻も、成人の日の和服もI(昔は訪問着と言っていた気がするが)、まるで古来の伝統だと信じ込まされてきた。七五三だってそうだ。高い金をかけてバカなコスプレ競争をさせた結果、大人になっても由来も意味も知らないままハロウィーンでバカ騒ぎをするのではなかろうか。 それにしてもバレンタインデーは、女性が告白する日から、愛する人とお世話になった人に女性が感謝とチョコを贈る日となるなど、意味合いをうまく変化させて生き残って、いや成長発展してきた。ところが日本以外の、バレンタインデーの行事がある国では、女性でもなければチョコレートでもなく、子どもが友だちや親などにプレゼントする日であるらしい。
さて冒頭のサンジョルディの日とは、出版社協会とか図書店協会とかが打った広告で、4月23日はサンジョルディの日(聖ゲオルギウスの命日)で、この日は本を贈る日なのだということだった。だから、友だちや子どもに本を贈りましょうと。ぼくは「(この日だけ)女性が告白できる日」(当時)には賛成できないが、本を贈る日というのは「いいんでないかい」と北海道弁で賛成したものだ。しかし残念ながら、これは日本では全く定着していない。日本中でパチンコ屋は増え、本屋が激減しているというこの国の実態と同じで、これが文化レベルというものなのだろう。 その後、文科省がこの日を「子ども読書の日」に制定した。知らないでしょう? ある日、年齢順でしかたなく中学校の国語科主任になったとき、校長室に呼ばれ、「子ども読書の日に、朝会で講話するように」と言われたので、急遽由来を調べると、次のようなことがわかった。
サンジョルディつまり聖ゲオルギウスとは、ドラゴンを退治して姫を救ったという伝説の騎士だという。国によってジョルジョ、ジョルジュ、ホルヘ、ゲオルグ、ジョージなどの名はゲオルギウスに由来する。ジョージアと呼び名を変えた旧グルジアは、ゲオルギウスがドラゴンを退治した伝説の舞台なのではないだろうか。 それが本とどんな関係があるのかというと、スペインではこの日に、恋人同士がバラを贈り合う習慣があったのだそうだ。一方、スペインに併合されたカタルーニャではカタラン語が厳しく禁止された。当然カタラン語の出版物も禁止となる。そこで、カタルーニャではサンジョルディの日にバラの花と共に、密かにカタラン語の本を贈り合って抵抗したのだという。この由来を織り交ぜた話を、校長が気に入ったか臍を噛んだかは知らないが、言葉を奪われることの重大さは伝えたつもりだ。かつて朝鮮や台湾で日本語を強制したこと、いや沖縄や東北、アイヌ民族などに、母語や方言を禁じた歴史があることを忘れてはならない。独善的な歴史認識の問題などでは断じてないのだ。 たとえ世界の習慣ではなくても、サンジョルディの日とは本を贈る日であること、つまり不条理な圧制に対する抵抗を示す日であることを忘れないようにしたいものだ。 そして本屋さんへ。たとえ巨大な風車に突進するドン・キホーテのように徒労にすぎないとしても、時々この日を宣伝してはもらえないだろうか。本屋さんの気概、見せてもらいたいものだ?
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