言ってもムダ?でも言わなければ!
近所の郵便局が閉鎖になり、一番近い郵便局も車でなければ行けません。歩いて行ける距離だから郵便局を利用していたのに。それにこんなこともありました。ATMで引き出した現金を入れるための封筒が右側にしかないので、窓口で払い込みをした時に、 「ATMの現金封筒が右側だけにしかないのは、左利きにとってはとても不便です。右側にもあると、とても助かるのですが。検討していただけるとありがたいです。」 局長もニコニコと対応してくれたので期待したのに、結局その後もなにも変わらないまま今日に至っています。 言っても無駄に終わることは、これが初めてではありません。しかし、じゃあもう言うのをやめようとは思いません。結局無視されるような結果に終わっても、こんな人がいて、困っているということは、言わなければ気づいてもらえないかもしれない。知ってもらっただけでも、知られないで終わるよりは良いと思うからです。 先日、国会で立憲民主党が、衆議院議長と内閣の不信任案を提案して、結局否決されました。そのとき提案に反対した別の野党から、「国難ともいえるような状況下で、否決されるとわかっている不信任案の提案は時間の無駄遣いだ」という声があったとのこと。 これを聞いて怒りで体が震え、眠れなくなりました。久しぶりです、こんなに憤りを覚えたのは。 一つ。否決されることがわかっているから提案しないとは、野党の自己否定に他なりません。少数意見を代弁するのが野党の役割であり、たとえ無駄でも言い続けなければ少数派は抹殺されるのです。 一つ。「国難」だから時間を無駄に使うなとは、国難だから我慢しろ、国難だから贅沢するな、国難=非常時だから人権を制限しても仕方がない……という論理につながります。少数意見でも、いや少数意見だからこそ、声高に主張しなければ気づいてもらえない。
ところで、地元では報道されたのかもしれないけれど、全国ニュースにはならない重大な出来事が横浜でありました。 横浜市内の某県立高校で、今月、地元選出の菅元総理が生徒向けの講演会を開くというのです。参議院議員選挙告示直前のこの講演会を、神奈川新聞が批判的に報道し、反対意見や反対行動が起こった。結果、この講演会が中止になったとのことです。理由は、日程の調整がつかないというのですが、もちろん批判をうけてというのが真相でしょう。 教員が原子力発電の仕組み、戦争の実態などを教材にすると、「思想教育」「政治教育」と大騒ぎするのに、選挙前の元総理の講演はOKとは? このような重大なニュースが東北まで届かないのは、やはり「おかしいぞ」という声をあげる人が少ないからなのでしょうか。
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