8月29日はバニク、つまり「馬肉の日」なんだそうな。NHKニュースがしきりに繰り返していた。もう本当にこんなバカなアナウンスを発信することはやめてほしいものだ。そうでなくともクジラを食べる日本人は顰蹙を買っているのに、馬まで食うのか!と言われるに決まっている。
じゃあお前はクジラも馬も食わないのか?と問われれば、食べたことはある。馬刺しだって、出されれば断らずに食してきた。(僕の乗馬の師匠は、ジョッキー時代に乗っていた馬を転倒させてしまい、その馬が殺処分になったそうだ。それ以来、彼はソーセージさえ口にしなかった。馬肉が入っているかもしれないからと言って。)
昔、鯨肉は安かったし、給食にもよく出たものだ。クジラのおかげで成長できたようなものだ。映画館で決まって上映されたニュース映画にも捕鯨の映像があった。あれがモノクロでよかったと今では思う。捕鯨船の甲板を大量の血が流れ、豆つぶほどの人間がなぎなたをふるって走り回って、巨大なクジラを解体しているのだから。
それでも、クジラを食べるのは伝統文化だったといえば、理解されるのではないかとは思う。今、それが必要だとは思わないけれど。
だが、馬肉食はどうか? 馬肉が伝統的な食文化だという地域はある。だが、日本ではせいぜい明治以降だろう。
こう考えてみたら理解してもらえるだろうか? 世界には、今でも犬を食べる人々が存在する。伝統文化だから認めようと言われたら、素直に賛成できるだろうか?
おそらく賛否が分かれ、激しい論争になるはずだ。犬を飼った経験がある、または今現在犬を飼っている人には許しがたいことに思えるはずだ。
犬は、人類と共に共進化してきた伴侶動物とされている。家畜と呼ぶことさえためらわれる時代なのだ。セラピードッグが寄り添うことで、思い病気や障害に苦しむ人に軌跡を起こす。悲しむ人に寄り添う。犬と触れ合うと脳内に愛情ホルモンのオキシトシンが分泌されるそうだが、最近の研究では、別れた飼い主に再会した犬もオキシトシンの分泌が増え、涙が増えるのだそうだ。
そんな犬を食うだって?許せん!というわけだ。
伴侶動物は犬だけではない。馬もそうだ。現代の日本では、馬は一般の人からは遠い存在になってしまったが、つい最近までは特に農村では身近な動物だった。10年ほど前に閉鎖された酒田市内の乗馬クラブが在りし日、会員ではないのに、乗るつもりもないのに、毎日かなりの数の人がやってきた。年配の人が多く、「昔はオラの家でも飼ってたもんだ」となつかしがっていた。みんなうっとりした表情で馬を眺めていたものだ。
世界には、もっと馬が身近な国もある。セラピーホースも存在する。
馬肉産業に携わる人が存在することはわかるし、今さらやめろとまで言うつもりはないのだが、声高にアナウンスすることはやめてほしいと思うのだ。
モンタナ(アパルーサ)