1970年代ヤクルト・アトムズ三原監督時代からのヤクルトファンにとって、益々期待が持てる出来事でした。
以前はCSチャンネルの野球中継を契約して全試合観戦していましたが、最近はもっぱら何か他の事をしながらインターネットのテキスト速報で観戦しています。しかし、昨日は巨人戦ということもありBS放送での中継を久々に試合開始から観戦しました。
残念ながら9回裏を迎えて4対9で劣勢。しかし球場には、まだほとんどの観客が帰らずに残っている状態。それはこの日54号のホームランを打ち王選手が持つ日本人最多本塁打に王手をかけた4番村上宗徳の打席が回ってくる可能性があるからです。
そして、2アウト1・2塁でその村上に、このプレッシャーをものともせずレフト上段に2点差に迫るスリーラン・ホームラン。ダイヤモンドを一周して55号記念のボードを手にして記念撮影。
この日解説していた高木豊氏が「いや、大したものですね。バッティングは言うに及ばず、撮影以降ニコリともしない」
初めこれを聞いた時、意味がよく分からなかったのですが、彼がベンチに帰り、続く打者オスナーに必死で声援を送る姿を見て、なるほどと納得しました。
この大敗の切っ掛けは、4回ヤクルトが2対3と追い上げた直後の5回表の巨人の攻撃、1アウト、ランナー1塁で坂本のサードゴロを村上が弾いて1・2塁にしてしまった。鋭いゴロだっただけにうまく処理すればダブルプレーでチェンジだったところです。確かに強い当たりで公式記録はエラーではなく3塁強襲のヒット。しかしその後2塁打とホームランで致命的な4点を献上。
彼の頭の中には、この責任と悔しさがあり笑顔を見せられなかったのだと合点しました。
いや自制したのではなく、彼にとっては真の姿だったのでしょう。
しかし、22歳の若者、連日いや入団当時から期待をかけられ、彼の背番号55もそれに由来するもの、日本人のホームラン記録達成間近が連日ニュースになり、その達成とそれからの解放が歓びとなって思わず湧き出るのが普通ですが。
チームに優勝マジック11が出ているとはいえ優勝争いの真っただ中、個人の記録で喜んでいる場合ではないと弁えられる凄さ、今年の三冠王は無論のことバレンティンの持つホームラン日本記録60号を破るのも現実味がでてきました。いや、それだけではなく長嶋・王のような後世に語り継がれる大打者になるスケールの大きさを垣間見たシーンでした。
何せプロ入り5年目22歳の若者なのに!