報道番組が勝手に「国葬」?
以前から土日の報道番組が少ないと感じていました。芸人等をひな壇に並べてしゃべるだけの番組はうんざりだし、もともと好奇心が強いので、世間で何が起こっているのか知りたい気持ちが強いのかも?(ぼくは芸人とは芸をしてなんぼの職業だと思っています。ところが近ごろの芸人たちは、仲間内のいわば楽屋話で盛り上がるだけのトークが仕事になっているようでウンザリです。これは寄席番組の大喜利でも言えることですね。あれは寄席のいわば余興でしかないのに、某番組がおおとりの位置に据えてしまったのが間違いです。甘やかしたのは客の方だと言われればそれまでですが。) 土曜日の報道番組がないことを、放送局側も少しは反省したのか、以前より戻ってはきたようです。たとえばウィークデーの朝日系「報道ステーション」につながる「サタデーステーション」や、NHK「サタデーウォッチ9」。 10月1日、夕方からの爺さんバンドの練習から帰宅、「サタステ」を見ようとスイッチを入れました。9時を少し過ぎていて、ちょうど亡くなったアントニオ猪木氏についての「報道」が始まっていたところでした。ところがいつまでも猪木ばかりなのです。 新聞の番組表を見ると、この日は「サタステ2時間SP」で、「ロシア(ウクライナの)4州併合宣言」とか「統一教会」などの見出しがあります。しかし、いつまでも「猪木追悼報道」が続いていました。それも公正中立であるべき「報道」を越えた礼賛の嵐でした。 プロレスの猛烈なファンもいるだろうし、猪木氏の型破りな言動を評価、礼賛する人もいるのだろうけれど、それは特別な番組を作って放送してもらいたいものです。評価が分かれるという点では、安倍元総理と同じこと。しかし、この日のサタステは報道の中立性も投げ出して勝手に「国葬」をしているかのような、いやな感じでした。番組の完成度から、死去を予想してあらかじめ作っておいたのだろうとしか思えません。 安倍の国葬をあれほど批判したテレ朝とも思えず、報道すべきことがもっとあるはずだろうと、テレビにスリッパをぶつけたくなるほどでした。
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