ここは常緑の松林ですが、荒れて松の木にツタやツタウルシ、山ブドウがからみつき、それが紅葉し始めました。リスには紅葉などなんとも思わないでしょうが、こんな光景を見るとこちらは心を動かされますね。でも、リスは樹上生活をしているので、視力はいいはずだし、哺乳類には珍しく色も識別できるのではないかと思っています。(ただの直感ですが)
ところでこのごろあちこちで通信障害が起きていて、スマホが使えないだの、電子決済ができないなどと報道されます。電車もたびたび止まります。予期しない停電とか、制御できないとか。
我が家の車も、自動運転を謳ってはいるが購入以来3度目のリコールがありました。うち2回は基盤に書き込んだ電子的な指示に不具合がみつかって書き換えるというもの(らしい)。
2011年の大震災の時、ケータイが電話もメールもできなくなり、徒歩10分の電話ボックスを使ったことはまだ生々しい記憶です。要するにデジタル頼りは脆弱で、どこかで不具合が起こると制御不能になりやすいということが、科学・数学に弱いぼくにも見えてきます。
それなのに、国は頼みもしないのに国民にマイナンバーを割り振り、希望者だけの任意なはずのマイナンバーカードを、悪質な訪問販売のように売りつけようとする。あげくの果てに健康保険カードを廃止してマイナカードに統一し、そのうち運転免許もマイナカードに一本化するのだと言い出しました。
勝手に決めたことを怒っている国民をなだめすかそうと「これは任意です」となだめ、突然約束を翻すなんていうことが、許されていいはずがありません。
原発だって、3.11の衝撃はどこへ行ったのか。あくまでも推進したい理由は何なのか?
エネルギー危機だから? いやいや、風力や太陽光などで発電した電気が送電線につなげないなどとあからさまな妨害をしたのは、国ぐるみでした。原子力を廃止することは都合が悪いけれど、言い出しにくいのでチャンスを狙っていた。エネルギー危機はまたとないチャンスなのでしょう。
3.11から11年、福島では若い人の甲状腺癌が増えているそうです。でも「専門家」は、原発のせいではないと言い募ります。前例がほとんどないのに、なぜそう言い切れるのか素人のぼくにはわかりませんが。「風評を広げるから」と話題にすることさえタブー視され、被害者である患者が生きにくくなる。間違っています!
国は原発事故をなかったことにしたい、国民に忘れてほしいのでしょう。しかし、福島の帰還困難区域が解除されても、裏山は除染されず放置されたまま、雨が降るたびに雨水の行方が気になります。「ゆく河の水は絶えずして大海にそそぐ。心憂きはアルプス処理水のみにあらず」と、恐れて帰れない人は、裏切り者と言われてしまう。これが現実です。
「聴く耳」とは、党内多数派の声や財界の声ではなく、声を出さない、出しにくい、どうせ無駄だとあきらめている人の声を聴いてこそではないのかなあ。