ウグイスが山から降りてきたようです。ウグイスはとてもシャイで、いつも藪の中に隠れるようにしているのですが、黙っていられず「チャッチャ」と鋭い舌打ちのような、いわゆる笹鳴きをします。その声からかなりたくさんのウグイスがいるとわかります。木の葉が落ち、草も刈れてきたので、このごろでは姿も見えることがあります。
ところで今月からNHK第一放送の「ラジルラボ」金曜日に、人工知能研究者、黒川伊保子氏が出演するようになりました。今朝の話題の中で、「上司のパワハラ」に関し、上司の側から見ると、若い社員が返事をしないとか、相槌を打たない、反応が薄いなど何を考えているのかわからず、それがストレスになっているという指摘がありました。
そして、1996年ごろ以後生まれた子どもたちは、小学校に入学したときも話題になっていたというのです。入学式で校長が「新入生の皆さん」と呼びかけると、大声で返事をするそれまでの新入生と違い、反応が薄く答えが返ってこないと。
ちょうどそのころ、バンダイが「たまごっち」を売り出してブームになったとか、携帯電話のメール機能が始まったそうです。
なあるほど、心当たりがあります。あのころからたまごっちもメールも大人、つまり親が夢中になったのです。中学校でも保護者懇談会や面談に「ヒヨコを死なすと子どもに怒られる」などと言ってたまごっちを持ち込む親が現れました。乳母車を押しながら、あるいは授乳しながらケータイから目を離せない親も。
乳児や幼児は、親と視線を合わせ、声を出し合うことでコミュニケーションや感情が育つのだという研究があります。これより前、自立心、独立心を育てるというアメリカのある育児書がブームになったことがあります。これは、乳児期のこどもをできるだけ一人にしておくことを勧め、泣いても助けに行かないとか、授乳も手からでなく専用の器具を使うことを推奨しました。抱いたりハグすることも禁止というわけです。その結果は……?
誰とも口を利かない一人の生徒を受け持った時、家庭訪問で聞かされたのは、この育児書に忠実に育てたということでした。口を利かないだけでなく、喜怒哀楽の感情もないようだと親は嘆きました。育児書が原因だと気づいた母親は仕事を辞めて育児をやり直したけれど改善しないのだと。発達心理学で言うレディネスを失ったのです。子どもの発達には最適な時期や順序があり、それに呼応した働きかけ(教育)をする必要があるということです。
学校現場では、「新人類」という言葉が比喩ではなく実態を指す言葉だと、うすうすではなく痛いほど実感しています。ある時期から、子どもの姿がそれまでと全く違ってしまったと。私自身、人間の姿をしているが、全く別の生き物だと思ったこともたびたびです。
「キれるこども」「荒れる学校、対教師暴力」など、そのつどマスコミをにぎわしてはいたのですが、世間はあまり真剣に考えてはこなかった。特にゲームやケータイなど、経済に大きな影響を生むであろう問題は、まるで大きな力が働いてもみ消しているのではないかと思えるほどです。
今、某宗教団体が政治に働きかけ、与党の政策決定さえ支配してきたのではないかと疑われているのですが、人間性の発達を阻害しかねない製品を生み出している企業にも、その責任を問うべきではないのかと思うのです。