ワシントンハイツの夜は更けて
ワシントンハイツとは、第二次世界大戦敗戦2年後の1946年から東京オリンピックの1964年まで、東京は代々木にあった米軍の兵舎、将校用住宅などが建つ広大な軍用地のことである。返還後の土地は、代々木公園、国立代々木競技場、国立オリンピック記念青少年総合センター、NHK放送センターなどになった。 小学生時代、中野坂上の家から徒歩で明治神宮まで遊びに行くと、芝生の上で外国人家族が休日を満喫する姿があったものだが、今思えば、彼らは神宮にも近かったハイツの住人だったのだろう。 ある日曜日、級友と2人で神宮に出かけ、宿題の写生をしていると、金髪の少女が後ろからのぞき込んで何か話しかけてきた。ぼくがドギマギしているうちに、彼女は級友の背後に回って、手を伸ばして絵筆を取り、彼の絵を2度、3度と塗り始めた。それからぼくたちにほほ笑みかけて、家族の方に駆け寄って行った。 生まれて初めての外国人との交流体験である。それにしても、その級友がどれほどうらやましかったことか。
4年生と5年生の2年間弱、ぼくは某少年合唱団に所属していた。子どもの2年間はとても長い。ぼくの人生にとって最も濃密な2年間だと思うし、歌という、自信をもって取り組める唯一の宝を得た体験は、学校で落ちこぼれ扱いされていたぼくの、その後の人生にどれほど影響したかしれない。 宗教曲が歌える国内唯一(当時)の少年合唱団として、特に12月は、テレビのクリスマス特番や、ラジオ番組の録音、教会のミサなど、多くの出演機会があった。 クリスマスイブ当日かその直前のころ、たぶん青山あたりのチャペルの、真夜中のミサの冒頭あたりに歌うことになっていたのだと思うのだが、自宅から渋谷までバスで行った時のことだ。もちろん何度か乗っている路線なのだが、途中、大通りを左折して長いフェンスに沿った狭い道を走っていく。フェンスの所々には「Warning!」と書いた標識があり、「許可なく侵入した場合、銃撃されることがある」という意味の物騒な日本語が添えられていて、実際、黒っぽい制服のガードが、銃把がつやつや光る銃を肩にパトロールしている姿を見たこともある。フェンスの内側は広い芝生で、かまぼこ型の建物や、白く塗られた平屋の住宅が、間隔を開けて建っていた。 そこがワシントンハイツと呼ばれる、アメリカ軍の施設だと知ったのは、ずっと後になってからだが、そのバタ臭い風景は、戦後生まれのぼくたちが憧れるアメリカそのものだった。アメリカの家には塀も垣根もないのだ! それにしてもアメリカには泥棒はいないのか? しかしその日はすでに日が暮れていて、フェンスの向こうは闇に閉ざされていた。窓に顔をつけて目を凝らすと、芝生の所々に立つクリスマスツリーが見えた。芝生のヒマラヤスギに豆電球が灯されているのだ。デパートに飾られる、どこからか伐って来てこてこて飾ったツリーとは違う、シンプルな黄色い光一色。それが寂しげに明滅している。当時のテレビドラマ『名犬ラッシー』に出てくるような質素な白い家の窓にも、暖かい黄色い光が灯っている。不思議なのは、それが無性に懐かしく思えることだ。 終点の渋谷でバスを降りると人があふれていて、色とりどりのネオンや飾り付けが輝き、ジングルベルが流れていた。 帰り道は友人と2~3人でラーメン屋に立ち寄り、一杯40年円のラーメンを食べて別れ、バス停まで急いだ。冬だと言うのに半ズボン、紺の半ズボン、白いストッキング、そしてベレー帽。子ども一人で歩くにはどうも目立つらしかった。ほろ酔い気分の、いや中には泥酔したサラリーマンたちが、珍しいものを見る目つきですれ違う。白い息を吐きながら空を見上げると、絡み合ったトロリーバスの電線のすき間から冬の星座が輝いて見えた。 最終バスの窓からは、再びさっきの星座に似たワシントンハイツの光が見えた。「Warning!」の警告板の向こうのあの「懐かしい」光の下には、自分がたどり着くことはできないのだと思うと、よけいに憧れがつのるのだった。
時は流れ……この国では、当時のようにクリスマスにサラリーマンが乱痴気騒ぎをするイメージは払しょくされたが、今ではなぜか恋人が共に過ごさねばならぬ日になったらしい。クリスマス、バレンタインデー、ハロウィーン……。カタカナで書かれる特別な日は、この国では「なにかをしなければならぬ日」であるらしい。子どもも大人も、その日はこのように過ごさねばならぬ、そのために金と時間を消費しなければならぬと。いつのまにか「日本の伝統」になってしまった節分の恵方巻のように。(そういえばあの時代、今のような伝統行事は、多くの家庭では行ってはいなかったか、あっても質素なものだった。もともとなかったのか、戦争で途絶えていたのかは知らないけれど。)
昨日、代々木公園のイルミネーションが3年ぶりに開催されるというニュースを聞いた。冬の風物詩となった各地のイルミネーション、そしてライトアップ。 酒田の有名な米蔵「山居倉庫」を保護するケヤキ並木には、夏になるとアオバズクがホーホーと鳴いたものだが、ライトアップで営巣の場を追われてしまった。闇を照らす強烈な光が野鳥や昆虫、植物に影響を与えないはずがない。風力発電の新設には、バードストライクを理由に多くの反対があるのに、ライトアップやイルミネーションにはなぜこうも寛大なのだろう? しかもこの冬は電気が足りなくなりそうだと、政府が節電を要請したのではなかったか? ロシアを制裁したから石炭や天然ガスが来ない、ウクライナの穀物が輸出できない、オペックが原油の増産をしぶっている、円安、気候危機……。 政府は電気を確保し、しかも脱炭素のために原発を再稼働するばかりか、新設もするのだという。40年で廃炉にするはずの原子炉を、60年、いや休止期間は含めないことにしてさらに延長して使い倒すのだとか。えっ、脱原発ではなかったっけ? そんな重大な変更がどこで決められたのだろう? 一部の学者が安全だと保証しても、その言葉を盲信するのは「科学的」とは言えないではないか! 放射能災害は実例も少ないし、人体実験はできないから、学者の言葉だって推測の域を出ないのではないか? 2011年の震災と原発事故の教訓は、もうほとぼりが冷めたということなのか。なめられたものだが、節電要請を無視する世の中は、政府が全く信頼を失っている表れなのだろうか? それとも聞く耳を持たない総理へのあてつけか? それにしても、あの日見たフェンスの中のつつましいクリスマスの光と、盛り場の乱痴気騒ぎ。あれから60年たっても、この国は未だに大人になりきれていないのだなあとため息が出るのだ。 クリスマスに関わる思い出を書いていたのに、また暴走してしまった。反省!
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