霧ヶ峰の大冒険……高校時代の思い出
高校2年生のとき、中学時代の友人と2人で長野県の霧ヶ峰に行った。 後日、授業でその時の思い出話をしたら、生徒が「ええ? 霧ヶ峰ってほんとにあるの? クーラーの名前じゃないの?」と真顔で聞かれたものだ。 中学時代に買ったガイドブックに霧ヶ峰が載っていて、ここなら険しくもないし、交通の便もそう悪くない。白樺湖にはユースホステルもあるし、というので2人でユースホステルの会員登録をして出かけたのだった。 当時、白樺湖から霧ヶ峰を経由して美ヶ原まで行くビーナスラインはまだなく、中央線の茅野駅からバスで八島ヶ池まで直登するのだ。夜行列車から降り立ち、乗り込んだバスは満員で、当時としては背が高かったぼくは窓から外の景色がほとんど見えなかった。バスを降りると、いきなりうねるような草の高原が開けていて、ガイドブック通り鷲ヶ峰がそびえていた。あちこちから小鳥の声が聞こえ、まさしく憧れの霧ヶ峰の風景だった。 八島池のほとりをめぐって、湿原や草地を経て車山に登り、それから白樺湖に降りてゆく、高低差はほとんどないが、異国的な風景を満喫できるコースなのだった。 車山へのゆるやかな登りにさしかかったころ、雲が風と反対方向に流れていることに気がついた。天気が荒れる前兆だと聞いたことがある。いやな予感がした。遠くの稜線にかかった雲の下側が白っぽいカーテンを引いたように見える。あれは雨か? 雷鳴が轟いた。近づいてくる。それどころか、自分たちより下の方から雷鳴が聞こえる。 今は避難路がいくつかあることを知っているが、当時は、予定したコースを行くしか方法が見つからなかったので、降り出した雨に濡れながら進むしかなかった。 歩くうちに車山の頂上に着いたらしい。当時は測候所があった。下り始めるころ、雨は小降りになり、雷は遠ざかっていったようだ。 そこに馬がいた。観光客を乗せる貸し馬屋らしい。 「乗ってくかい?」ずぶ濡れのぼくたちに、おじさんがのどかに聞くのだ。乗らないわけないじゃないか。憧れの馬なんだから! 「きょうはもうしまいにして降りるところだから、乗せてくよ。」 鞍の上にたたんだ座布団がくくりつけてあるのがおもしろかった。山用のキャラバンシューズでもあぶみ足が入るのがうれしい。 「ちょっと綱を離すから一人で乗って見な」とおじさんが言う。馬はそのままのんびりと歩いてくれる。「走らせてみるかい。持ってる手綱の端を振って首を叩いてみな。ほらもっと。」 すると、馬が小走りに走り出した。面白い、もっと叩くとスピードが速くなる。 「おおい、そこらでやめとけ。引っかけるぞ!」 ああ、楽しかった。麓で馬を降りてお礼を言い、湖畔のホステルに行く。 すると、ホステルは満員で空きがないと言うのだった。それは困る、どうしようかとうろたえていたら、これからボートを出して、対岸の旅館に運ぶから、そこに泊めてもらえるようにする」というのだ。 モーターのついたボートに乗りながら、なんだか今日は大冒険をしたような気分になった。もう空は晴れている。湖面には立ち枯れた木がいくつも突き出ていた。白樺湖は人工の堰止湖で、できてから間もないのだそうだ。 旅館ではすぐに温泉に入り、雨で冷えた体を暖めた。石鹸がいらないほどヌルヌルする湯だったが、ナトリウム泉なのだそうだ。あとでわかったのだが、霧ヶ峰界隈で温泉が出るのは湖畔のこのあたりだけ。ホステルにも温泉はないのだという。同じ料金で得した気分だ。
あの時、同行した友人とはその後会っていない。 中2の時に転校してきて、いきなりJRC(青少年赤十字)をクラブとして創設したやつだった。公務員アパートに住んでいた。それが国家公務員であることは、当時は知らなかったし、視学官の息子と聞いても、それが何かも知らなかった。 最近の同期会で訃報を聞いた。
冒頭の教室とは別の職場で、夏の宿泊行事に「車山」に引率した。別の職場ではスキー教室で「蓼科」に引率した。どちらの職場でも、同僚は「霧ヶ峰」を知らなかった。「エアコン?」」とさえ言われた。スキー場やリゾート地がある別の地名があの地域を代表するようになっていたのである。確かに地形図上の霧ヶ峰には草地の他は何もない。 ああ、昭和よ。
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