いつものリス、双子のようなリスのうち、しっぽを右に曲げるほうのリスが、クルミの新緑に囲まれて食事中。
森にはツグミなど、まだ北に帰らない冬鳥の群れや、留鳥のシロハラ、アカハラなどがうろついている。
今朝はルリビタキを見た。雄は瑠璃色の背中、黄色の胸、ウクライナの国旗のような色。でも撮影には失敗。
連休に娘が来るかもしれないという連絡があった。それで思い出したのが、我が家でボロボロのビーグル犬を保護したばかりの正月に、娘が横浜からやってきた。娘は玄関に一見ウサギの毛皮のようなマフラーを置きっぱなしにした。ビーグルのハッチはこの怪しい生き物をやっつけにかかり、唾液でべとべとにしてしまった。気が付いたときは手遅れ。見る影もなくなっていた。娘が怒ったのなんの。数年間はハッチ(犬の名)に会えばそのことを攻めていたっけ。
しかし、そんなデリカシーなど少しも持ち合わせないハッチは娘が大好き。娘がいる間はどこにでもついて歩き、あわよくば風呂場だろうがトイレだろうがお供しようとしてはどやされていた。
ぼくが受け継いでしまった動物好きDNAは、確実に娘にも引き継がれているらしく、彼女が保育園に通う途中に、仲良しの犬が2~3匹いて、毎朝声をかけ、フェンス越しになでてからでないと先に進まなかったほど。
成人してからも、通勤途中で病気やケガの子ネコを保護しては動物病院に持ち込む。獣医が「これは助からない」と言うと、自分が看取ると言って自宅に持ち帰り、奇跡的に復活した猫や、獣医に託された猫を自宅で飼っている。
ところで、娘が大好きなハッチは、娘が帰ってしまうと、玄関に寝そべって待ち続け、時には涙さえ流していたものだ。ぼくが泊まりで留守にしてもそんなことはしなかったのに。犬にとって「忠犬ハチ公」はふつうで、特別な存在ではないらしいのだ。ただし相手によるが。
ではぼくの動物好きDNAはどこから来たのだろう? ぼくの両親は特に動物好きではないと言っていた。しかし、ルーツがある福島では、大家族で住む大きな家に犬も猫もいて、昔なら馬や牛が飼われている。福島に限らないのだろうが、震災の時に目にした家族の姿を見て、「やっぱり」と納得したものだ。
僕が幼児のころ、父は仕事帰りに「おみやげだ」と言ってカエルを持ち帰った。
社長の頼みだからと言っては、猫、犬、野鳥(ウグイスやメジロ)を連れ帰った。そのくせ、世話は全てぼくにまかせたものだ。
ぼくも動物は特に好きだと自覚したわけではなく、むしろ鬱陶しいと感じたほどだが、いることが当たり前という環境ではあったわけだ。いれば世話をしないわけにはいかないじゃないか、そうっでなきゃ死んでしまうのだから。