森の中の散策路を歩くと、いわゆる路肩の部分が掘り返され、ところどころに穴が穿たれている。湯河原や箱根の山道なら、イノシシがミミズなどを物色した跡なのだが、この森にイノシシはいない。まだ今のところは。おそらくカラスが食べ物を探した跡だろう。その近くにクルミが転がっている、というか放り出してある。
若い未熟なカラスにとって、腐葉土のなかに埋まっているクルミは、石ころのような邪魔者なのだろう。
一方、カップルを作るような年頃のカラスの中には、もうクルミ割りを始めたのもいる。いまのところあまり熱心ではないのだが。クルミをくわえて急上昇し、適度な高さから落として割るのだ。先日見たカラスは、その適度な高さがまだ思い出さないのか、あまりに低くて成功していない。
午前の高校の、だれもいないグラウンドで、クルミ割りを試みているカラスも見た。土の上では割れるはずはないのに。ごくろうなことだ。
新聞の歌壇に選ばれた短歌に、4~5回試みてやっと成功したカラスの努力を讃えるようなものがあった。だが、ぼくは彼らを突き動かすのは、食欲や生存本能というより、好奇心ではないかと思う。遊びとしてのクルミ割りなのだ。
石ころだと思って放り出しておいたクルミを、たまたま車が轢いて行ったとか、落とした直後に車が轢いたというような偶然の幸運にめぐりあえば、それえなら自分で置いてみて、車に轢かせようというカラスも出てくるだろう。
失敗しても何度も繰り返すのは、成功が予想でき、期待にワクワクするという脳を持っているということでもある。
以前、クルミ割りに夢中になりすぎて、パートナーがいなくなってしまったカラスを見たこともある。ギャンブル狂いの夫とその妻という構図で、なんとも人間くさい。
この季節、成熟したカラスはふつうカップルになって縄張りを持ち、巣で子育てをする。そして未熟なカラスは徒党を組み、森などを徘徊して食べ物を探したり、遊んだりするのだ。
先日、「カララ、カララ」というカラスの怒った声がして、数羽のカラスが飛んできた。若いギャング団だ。しかし先頭の鳥は翼が大きくて丸みを帯び、茶色く見える。カラスは猛禽類が大きらいで、見れば追いかけていやがらせをする。もしや?
先頭の鳥はタブノキに逃げ込み、カラスはしばらく怒声を上げてから飛び去った。近づいて下から見上げると、やはりフクロウだった。小柄で幼い顔つきだから、雄なのか、それとも去年生まれた幼鳥なのか?いや、やはり雄で、巣の近くで見張りをしたり、獲物を届けたりしているのだろう。
ともかくここにフクロウが帰ってきた。またここでヒナを育てているのかもしれない。そうならば、もうヒナは生まれていて、まもなく外界にデビューするはずだ。期待がふくらむ。