茜(あかね) ・ モノローグ-2
「晩冬の林道に独り佇むのは誰(た)そ」 大辻 敏成
寒空の霞む梢にはる兆し 愚 聴風
「こうして銀色に輝く浅間山と向き合ったの、あれからもう一年ね。速かったわ。冬の信濃追分って厳しいけど好き、でも今年はいつもより寒いなぁ」 気が付いたら茜は独りで追分の林道に佇っていた。村は静まりかえって梢を吹き抜ける風音が心地よかった。風が鳴るのだろうか、それとも梢が鳴るのだろうか訝しかった。 「あ、これ兎の足跡ね、懸命に生きてんのね、寒い中で…。足跡と言えばね、この間テレヴィで見たんだけど、法隆寺の宮大工さん、西岡常夫さんだったかしら…あの方のお話やってて…芸を極めるってこういう事なのかしらと感心しちゃったわ。それがお顔にも表れているのは当然として、また遺された言葉っていうのがね、素敵なの。 ああいう方には霞ヶ関辺りで瓦礫共相手に講演してもらいたいわ。そうそう、M政経塾とかいう予備校なんかでもね。ほら、“国家の品格”なんて言った数学者居たでしょ、なんて言ったっけ…あの方って小説家の息子さんで、お茶大の教え子と結婚してさ、やあね商品に手を出したりして…茜の30年ぐらい先輩になんのかな、高校のよ。あの方じゃあないけどさ、近頃の“議員の貧格(○○)”ったら酷いわね、ますます…。出演の仲間同士で笑いあってるお笑い芸人よりは可笑しいんだけどぉ、笑って済まされるモンではないわよ。 そんでさぁ、お互いに呼び合うのに“~先生”だって…少なくとも国民の前でだったら敬称無しが本来でしょ?。言葉の使い方もロクにね。茜はね、美術評論家のよく使う業界用語「まなざし」とか「途轍もない」「計算された」なんてのも大嫌いだけど、“O先生のご(○)議論を~”とか“H先生のお考えはさすがお育ちが良いので~”だとかねぇ、これって鳩ポッポのことでしょ、未だによくも恥知らずにK関の豆を拾って歩いてさ、名前の「由」を「友」に変えるんだって…それで赦されるってもんじゃぁないでしょ。 …でさあ、ある議員なんかジャーナリストに“オイッ、此処んとこはオフレコにしろよなっ”でしょ、まあ世も末ね。知能の低下も驚きだけど、痴能は高いのよね、とびっきり。 あたしもバカね、せっかくこんなとこ来てんのに愚痴っちゃって…ああ、茜、最近男旱(おとこひでり)かな、胸がキュンと寒くなって…佳いひといないかなぁ、気が付くとホント、いつも独りって感じだわ。娘は育児で手一杯、寄りつかないしぃ、電気毛布でいくらベッド暖めても寒いわね、だからホント“腹膨るる思い”よ、こないだのA新聞の政党広告、一頁広告出してそれが3億円ですって。何考えてんだよ!人喰って…人食い人種ね。 その点ヤッパシ絵や音楽って別世界ね、勿論それから派生する組織なんかはまたまた別の嫌らしい世界らしいけど…。純粋な創作は自分に入り込んじゃうからいいのね。でもその為の苦労も一通りでないんでしょうけど…、鶴の恩返しみたいに身を削るっていうのかなぁ…そういうのってご本人は言いたくないのよね。如何にして独自性を極めるか…なんて茜、気が遠くなりそうだけど、一口に独自性とか個性なんて言うけど、他人(ひと)と違うこと狙っても底が浅いのね、自分の世界に深く沈む事から発生するもん…と聞いてるわ、個性って。それから、ウン、行動力もね,大切。思ったらスグやらなきゃあね。その行動力の裏にあるのって、ヤッパシ体力とかモチヴェイションだわね。 ところでこうした政治批判ってついつい出ちゃうんだけど、政治って最も現実的な世界よ。それを茜の不満や愚痴の対象にするってことは容易(たやす)いけど、これって茜にそれを上回る創造のイメージが弱いからなのね…きっと。そんな愚痴なんか言ってるよりもっと自分の裡より湧きあがる想像っていうのかしら、そのイメージを表現に繋げること考えなくちゃ。モチヴェーション上げることが大切ね。手っ取り早い政治批判なんて、茜の嫌いな“大衆に阿(おもね)る”ことになっちゃうわ。でもホント赦せない事って一杯。でもねホントは政治家やお医者さん・弁護士さんなんか偉いなあ…と思ってるのよ。他人(ひと)の幸せのため働いてるんだもの、行きたくもない何処かの国行ってさ、握手してこいなんて言われたら、茜だったら即辞任ね。ああ、もっと自分の世界に入り込まなきゃ。
入り込むっていえば、茜“入木(じゅぼく)”って言う言葉好きなんだけど、知ってらっしゃる?“入木(じゅぼく)道”って書道のこと言うらしいんだけど、書聖といわれる―書生じゃないわよ―「王羲之」の書いた木簡には板の深いところまで墨が染み込んでいたっていうお話し。それ程の思いを込めて書いてるってことなの。何事もこうありたいものね。あーアッ、茜も考えなくちゃ。もうドップリ中年ですもんね。 ほら、早春の浅間には光が満ちてるわ。“春”とは草木の芽が“張る”が語源と言うけど…こうして早春の風を聴いて浅間に対峙すると茜の胸も、そう…なにか張ってきそう、いやあね、胸ったって茜のオッパイじゃないのぉ、心の胸・ハートよ。そろそろ汎美展が春を引き連れて来るのね。佐保姫(※)みたいに…」 茜は社会批判はさることながら、自己批判へ走り込むという勁(つよ)い心をも持ち合わせていた。茜の胸の裡(うち)は佐保姫が織りなす春霞のようであったが、広闊たる春霞の中にひと筋の生きる道が見出せたように思えた。 明日は立春である。陽光もひときわ強さを増し、浅間は白銀色(しろがねいろ)に輝いていた。 対照的な黒ずくめの茜、そのファッションには一分の隙も無かったが彼女の後ろ姿には哀愁が一入(ひとしお)だった。あるいはそれは春愁といったものだったのだろうか。春いまだ浅い風が立ち、野ウサギが林道を横切った。 20130304 「浅間の春未だ」 あたたかき光はあれど 野にみつる かをりも知らず
※:佐保姫=平城京の東方にある佐保山に坐(いま)す春をつかさどる姫神。佐保山が京の東方とあるが、奈良山とするなら、現在の奈良北方、つまり京都と奈良の間になるが…。 平城京の東側とされる山、陰陽五行説では東が春にあたるのでそれを神格化したのが佐保姫または佐保神。 なお、春霞は佐保姫が織りなすとされた。
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