二〇一二年六月・夏至より
妻とヴェネチア・フィレンツェ・ローマ・パリに遊ぶ
私は本来、詩は別として短歌・俳句における片仮名表示を好むものではないが、場所柄いたしかたなく仮名表示にしました。
伊・仏に妻と遊ぶ、以下御当地句游
満月の旅情しみじみ巴里薄暮
《満月=フルムーン→古ムーンの意》[夏至]
ヴェネチア
ヴェネチアの旅まぼろしや夏のかぜ
ヴァチカンに列巡礼の夏の夢
ゴンドラに烈夏の風や老妻(つま)の肩
ゴンドラに恋歌(カンツォーネ)揺れて夏長(た)ける
ヴェネチアにシロッコ無けど夏猛る
《シロッコ=サハラ砂漠から地中海を吹き抜く熱風。トーマス・マン「ヴェニスに死す」想起》ヴェネチアにタジオの遊ぶ俤(かげ)は無し
フィレンツェ
ボチチェリの春にこと寄せ日は暮れず
《ボティチェリの情感は並でない》ふと入ればメディチの館しるき夏
身投げとはヴェッキオ橋に想はれず
《身投げ=プッチーニのオペラ「ジャンニ・スキッキ」より「私のお父様」、恋が実らねばベッキオ橋から身を投げるわ…》ドゥオーモを長蛇で充たす夏巡礼
「プリマヴェラ」に情(こころ)みだされ夏の宵
《春の三美神》ゼフィロスの息にいさよふ皓(しろ)き肌
《ボチチェリ「ヴィナスの誕生」ゼフィロスの息にただよふ》ボチチェリのウェヌスも脱がす暑き晝
《ウェヌス=ヴィナスのこと。ラテン語》夏かぜに全裸のウェヌス吾を凝視(み)し
《私が彼女を見るのは当然、しかし彼女も私を見つめていた、「いいわよ、あなた」と》羅馬
酷暑避け入りしドームが世を隔つ
バジリカの石は揺るがず羅馬(ローマ)の熱陽(ひ)
《ジリカ=古代羅馬の公会堂様式だったが後に教会堂一般を指す》烈日に冷めざる石壘(いし)やコロッセオ
《コロッセオ=伊語で円形競技場。数多の生き血を吸った石累々》遠近(をちこち)の遺跡を打ちて羅馬の熱陽(ひ)
遠近(をちこち)に散れる遺跡や羅馬(ロマ)の夏
笠松やアッピア道の夏何処
《アッピア街道=ローマとナポリを結ぶ古代の軍用道路。レスピーギ「アッピア街道の松」》大理石(マーブル)を掘り残してや夏の夢
テル・ミニに勝ち蹴球の怒濤寄す
《テルミニ駅に深夜のサッカー対英戦勝利の声・クラクション》羅馬の夏臀部と紛ふ胸の谿
巴里
ボチチェリの「春」になぞらふ巴里の夏
巴里烈日をみなの巨體躯(からだ)露わなる
陽灼熱ウェヌスの子孫夥(おびただ)し
《ウェヌス=ラテン語のヴィーナス》若き日の老妻(つま)彷彿と巴里の夏
ルーヴルにボチチェリの夏さんざめく
《ルーヴルのボチチェリ二点は強く印象された。巴里の街も「プリマヴェラ」さながら。》ノートルダムにて弥撒拝謁
弥撒(ミサ)の聲 堂を吹き抜け暮れ泥(なづ)む
《泥む=とどこおる、深く心を寄せるの意》薔薇窓に薫香の煙(けむ)蠢(うごめ)けり
《薔薇窓=ファサードを飾る円形大ステンドグラス》怪人の無きオペラ座に夏日降る
《怪人=「オペラ座の怪人」》ノルマンジー・モンサンミシェルへ
夏広闊(くわうくわつ)巴里郊外の「海と陸」
《海と陸=オペラ椿姫・アルフレッドの父ジェルモンの名唱「プロヴァンスの海と陸」彷彿》麦秋やゴッホの遺作想はせる
ミカエルの降臨ありや泥(なづ)む晩(くれ)
《ミカエル=キリスト教の大天使で悪鬼を退治、多くは武装青年の貌》白州路(しらすじ)の薄暮に泛(うか)かぶ黝(くろ)き尖塔(たふ)
《黝(くろ)=あをぐろし》白夜なすカテドラル黝(くろ)し砂州(さす)の皓(しろ)
ノルマンジーの砂州(さす)に微風(かぜ)あり野罌粟咲く
海濱草(はまぐさ)はノルマンジーの風に揺れ
《ノルマンジーの海浜植物は哀しみの塩粒(しおつぶて)を抱き何故かマーラーの曲を想わすのだった》想ひかなしやマーラーの韻(おと)
日没は午後十時頃、暮れ泥む巴里の空
しづしづと薄暮を吸ひて巴里暮るゝ
≪小暑≫
帰朝後追分にて回想
追分にフィレンツェの夏風(かぜ)呼び込みて
暑き巴里追分の風になつかしむ
高原(たかはら)に羅馬の夏の陽や何処
ゴンドラの夏風にしろし妻の肩
黒帽子ゴンドラ玄(くろ)し肩しろし
背に刻す水着の跡の眩(まばゆ)きて
モン・サン・ミシェル